韓国人が知らない「大韓帝国」

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日韓併合前の南大門付近の様子。

韓国ではどういう訳か「大韓帝国(1897年ー1910年)」時代が関心を集めているらしい。

「自発的な近代化を目指していた」

点を再評価したい様なのだが、世界で最も「歴史に正直でない民族」の騙る歴史などハナから信用に値するかどうか?以前の問題を抱えている事は言うまでもなかろう。実際はどうであったのだろうか?

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朝鮮半島の近代化は日本によってなされた」

と言う主張と

日韓併合以前から朝鮮半島近代化の芽は出ていた」

と言う主張の対立、と言うのは日韓の歴史認識の違いのテーマの一つであると言える。これに関しては少なくとも中央日報

大韓帝国成立以前の旧体制による政治は腐敗を極めていた」

と言う認識は持っているのだろう。正確に言えばそれを「政治」と呼べるのか?と言う疑問からして湧いてくるのだが、それには敢えて突っ込まない事にしておこう。

※有名な日清戦争の風刺画。良く状況を把握している。

日本が明治維新以降の近代化に邁進していた頃、李氏朝鮮も欧米列強と不平等条約を結ばされるなど、帝国主義と無関係では居られない情勢になっていた。そんな中で李氏朝鮮内で

清朝との冊封体制を解消して近代化を図るべき」

と言う主張と

「これまで通り清朝との冊封体制を維持すべき」

と言う主張の対立があった事は事実である。その対立の煽りで日本公使館が焼き討ちされたりする事件も起きているし、その派閥抗争が日清戦争に繋がった事は間違いないだろう。その日清戦争に勝利した日本は「朝鮮を独立国」だと清に認めさせた。そうなって初めて「国号」や「改元」と言った事が行われたのだが、それは1897年の事。日清戦争から2年が経過していた。それまでの間にロシアが朝鮮半島で影響力を増大させており、軍事、民事双方でロシア人アドバイザーが居た、と言うのが実際の所である。

ロシアの狙いは「不凍港」だった。1898年、ロシアは日本に対する「三国干渉」で念願の不凍港を入手すると韓国への関心を失い、アドバイザーは撤退、また日本とは「西・ローゼン協定」で日本が朝鮮半島を勢力圏とする事を認めた。(代わりに日本はロシアの満州での勢力圏を認めた。)

当の大韓帝国ではその頃、確かに議会が開かれ、政府の対露姿勢が「屈辱的」だと非難の対象になった。その中で朝鮮半島でも「立憲君主制」を志向する「民主主義思想」が誕生したのだが、それに対して韓国皇帝と保守勢力は「絶対王政」を志向し、でっち上げで「民主化」を主張した「独立協会」を弾圧する結果となった。その様を当時のアメリカ公使は

朝鮮人は外国勢力とそのアドバイスに学ばなければならない」

として、韓国の統治能力に疑問を持ちはじめ、そしてその状態は

「ロシアの影響が完全に撤退されて以降、ますますひどくなった」

と、述べている。少なくとも政治的には復古主義だった、と言えるだろう。因みに日本政府によって民主的選挙が導入されたのは1933年。議員の8割は朝鮮人、知事も同様だった。

…それでも「光武改革」とする改革政策は行っている。「朝鮮半島での自発的な近代化」を主張する人にとってはこの事実こそ「朝鮮半島でも自発的な近代化は行われていた」と言う根拠になるのだろうが、

財源不足や諸外国の外圧により利権を奪われるなどして挫折」

した、と言うのが結果だった。どんなに好意的に見た所で「失敗」と言う表現以外に適切な言葉はないだろう。そのツケは併合した日本が支払っている。

また教育面に関しては1895年の時点で確かに改革は始まっており、近代教育制度を導入したはいいが、1906年の時点で小学校は朝鮮半島全体で40にも満たなかったのだと言う。これを知った伊藤博文

「一体今まで何をしてきたのか」

と叱責し、以後学校建設を最優先事項にさせたのだと言う。その結果1940年代には朝鮮半島での小学校は1000を越えていた。これで「近代化を自発的に進めていた」と言えるのだろうか?

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※そのペースでは史実に追い付くのに250年かかる計算になる。

1929年、アメリカ・カーネギー財団が記者を朝鮮半島に派遣し、取材を行っている。その評価は

「日本は併合以来19年間にして、数百年間停頓状態にあった朝鮮と、近代文明国との間に渡り橋を架けてやった。…また朝鮮人の苦しみもあるかも知れぬが、日本は莫大な利益をもたらしていることは明らかである」

だ、そうだ。

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※コレが朝鮮半島での風景だとは…

要するに大韓帝国にも「近代化の必要性を認識」し、「具体的な提案」もなされ、「実行」もされたのは確かだが、当時の人間の目から見ても「大韓帝国独自で成し遂げた近代化」は「ない」のである。

日韓併合において韓国側全権の李完用は独立協会出身であった。

記事は「外圧でなく自発的にこの時代に民主化出来ていれば…」とお嘆きだが、その民主化勢力で主要メンバーだった李完用はその後、日韓併合条約締結時に全権となり、また弾圧された独立協会の活動は日韓併合で韓国側で重要な役割を果たす事になる「一進会」へと引き継がれる事になる。当時の朝鮮の国力を考えると仮に自力で民主化に成功したとしてもその後独立を維持出来たかどうかは怪しい。

結局「大韓帝国は近代化に失敗した」と、言うよりない。幾ら韓国人が再評価しようがそれが「現実」である。しかも日韓協約によって日本が「保護国」としていた事を忘れている。所詮は

「日本が居なければ何も出来ない」

のであってそれは今も昔も変わらない。どうせならその意味を十分に噛み締めて貰いたいものである。