徳川家康が「克日」に必要?

イメージ 1
※「克日」のためには徳川家康を知れと?

朝鮮日報が奇妙なコラムを掲載していた。

「『克日』したければ徳川家康について学べ」

と言うのだ。

イメージ 2

山岡荘八の小説「徳川家康」は韓国でも「大望」と言うタイトルで翻訳されている。現在獄中の朴槿恵が読んでいた、と言う事でも知られているが、「徳川家康と朝鮮」の関わりと言うと然程の事はない。

せいぜい豊臣秀吉朝鮮出兵で断絶した国交を回復させた程度で朝鮮半島の歴史に深く関わった様な形跡は見当たらない。それなのに何故?と思うのは当然だが、このコラムの筆者に言わせると

「今の日本社会のルーツは徳川時代にあり、明治維新も近代化も、そのルーツの上で展開した。だから現代日本を深く理解しようと思ったら徳川時代を知るべきで、その創設者たる家康について学ばなければならない。」

と言う事らしいのだが、このコラムからは筆者が家康から何を学んだのか?さっぱり伝わって来ない。徳川家康と言えば

「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず。不自由を常とおもへば不足なし、こころに望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもへ。勝事ばかり知りて、まくる事をしらざれば、害其身にいたる。おのれを責て人をせむるな。及ばざるは過たるよりまされり」

と言う遺訓に代表される様な「忍耐強い苦労人」と言うイメージがあるが、上記の遺訓は明治になっての捏造だと判明している。そういうイメージが「間違い」とまでは言わないが、意外にも家康には短気で粗暴な一面もある。

※家康は失敗を活かせる人物だった。

三方ヶ原の戦いの際、まともにぶつかったのでは到底勝ち目のない武田信玄相手に家康は同盟していた織田信長に援軍を要請した。援軍にやって来た信長の武将は

「城から出て戦わぬ様に」

と言う信長からの伝言を伝えたが、それでも家康など眼中にない、と言わんばかりの信玄の行軍に憤って出撃したものの、自身も「漏らしてしまう」と言う失態を仕出かしての大敗北となってしまった。普通ならそこで信玄を深く恨みそうなものだが、ご承知の通り家康は信玄を深く尊敬し、後年武田家が滅亡した際にその遺臣を数多く配下にしている。また武田信玄の武将飯富虎昌が用いた「赤備え」を徳川四天王の一人、井伊直正に継承させたりと、勝てなかった相手とは言え、武田家から多くのものを学んでいる。その反面、負けた際の自身の姿を肖像画にさせ、一生の戒めにする事で同じ失敗をしなかったと言えるだろう。

韓国人が「克日」したければ徳川家康に学べ、と言うなら真っ先に学ぶべきはそういう「相手に学ぶ」精神なのは論を待つまい。明治維新、と言う国家体制の大転換から50年も経たずに他国から「併合してくれ」と懇願される程の変貌ぶりと適応性、また併合されたとしてもそれを恨まず今後の糧に出来る器量、何れも韓国人には根本から欠けている。このコラム、「抽象論」と言う意味では中々正確な所を突いている。

徳川家康はこの様に「失敗を糧にする事が出来た」と共に、激情に任せて家臣を成敗する事はなかった、と言われている。そういう例は信長には幾らでもエピソードはあるが、「越えてはならない一線」は何処ぞの国の大統領と違って理解していたのだろう。

また、家康は実学を好み、実証的で現実主義者だった、とも言われている。例えば家康は子供達にも体の鍛練の必要性を説いても「励め」と奨励したのは「馬術と水泳」だけだったと言う。「大将自ら戦う必要なし」としたので剣術や鉄砲(家康は達人だったらしいが)よりも「馬術と水泳」を重視したためだが、その理由は簡単。どんな大将でも万が一戦に敗れて逃げる羽目になった際は「自分で逃げなくてはならないから」である。

だがこのコラムの筆者は「徳川家康から何を学んでそれをどう『克日』に活用しろ」と言いたいのか理解が出来ない。確かに相手の事を知っておく事は重要ではあるが、具体的な事が列挙できないのでは意味がない。また「知る」と言っても小説がソースではお話にもなるまい。多かれ少なかれ小説の場合、それなりの誇張がされているケースが殆どだ。また、韓国人が幾ら徳川家康について学んでも自国の歴史に嘘を吐いているのでは何にもならない。「朝鮮が日本に文化文明のいろはを教えた」とか言う割に「克日」なんて矛盾しているとしか思えないがそれをどう説明するのか?

韓国人が本当に「克日」したいなら日本史で学ぶべきは「徳川家康」よりも「明治維新以降の文明開化」について学んだ方が良い。当時の欧米諸国の帝国主義に巧く立ち回って列強の一つとなった日本とそれが出来なかった朝鮮。その明暗を研究する方がよっぽど意味がある。韓国人が日本史を学ぶのは結構だがそれよりも先ずは自国の歴史の真実を学ぶべきだ。韓国人が克服すべきは「日本」より「自国の歴史の嘘」なのである。