希代の売国行為、河野談話作成

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やはり、と言うべきだったか。河野談話作成時に韓国側と内容の摺り合わせが行われていた話は出ていたが、韓国側の関係者がそれを認めた。

http://www.zakzak.co.jp/smp/society/foreign/news/20140617/frn1406171207006-s.htm

河野洋平自身は97年3月31日の朝日新聞で「河野談話は韓国側と内容を摺り合わせる性格のものではない。」としていたが、真っ赤な嘘出鱈目だった事になる。

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※最初に報じた朝日新聞も同罪。

韓国側は当初「強制性」を認めればその他の表現は日本側が決めるものだというスタンスだったようだが、日本政府高官(氏名は明らかになっていない)から摺り合わせの要請があったという…

記事の内容が事実ならこの政府高官は完全な売国行為をした事になる。本人だけでなく、責任者の河野洋平もだ。良識ある国民は絶対にこの高官及び自分の名を冠して発表した河野洋平は許してはならない。

間もなく検証結果が国会に提出される。その内容を見てから改めて言うべき事はあるだろう。だが、日本軍が朝鮮人女性を強制的に慰安婦にした証拠はない。その正反対の「彼女達が単なる売春婦に過ぎない」証拠と「募集されていた」証拠ならあるが。

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※「募集」と「強制」は違う。

http://goo.gl/WF15t

アメリカ政府の公文書。日本軍の慰安婦は「単なる売春婦に過ぎない」と結論付けてある。

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そもそも慰安婦を強制徴用したなどという話は作り話であり、それは当の本人が認めているのが事実だ。

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朝日新聞の捏造記事。

また、産経新聞河野談話の聞き取り調査内容をスクープした際その内容を検証した結果、おかしな内容であったのは明白だ。翌日に当ブログに掲載した。

http://m.blogs.yahoo.co.jp/imadon1101/32474187.html

黄某なる慰安婦の証言は「令状が来て義姉の身代わりで行った」となっているが、韓国側の調査には「工場の仕事に行けば金が儲かると騙された」と言ったらしい。生年月日も日本側には1927年12月1日、韓国側には1922年8月15日と全く異なる。 
更に日本側には「19歳の時、令状が来て義姉の身代わり」で慰安婦にされたそうだが、その時点で(日本側調査の生年月日なら)1946年がその年。戦争はその前年に終わっている。4年後の8月まで慰安婦だったと証言しているから、それは1950年になる。韓国側に話した生年月日だとすれば、終戦まで慰安婦だった事になるから辻褄は合うがそれならば何故日本側の調査に嘘の証言をしたのか?という疑問点が出てくる。

また、吉某なる慰安婦の場合生年月日は1924年12月7日で、17歳の頃軍人に車に乗せられ熊本で5年軍人の相手をさせられ、爆撃らしきもので誰もいなくなった隙に逃げたと言う。それを前提にしたら、17歳の時は1941年。5年熊本で慰安婦やっていたなら逃げたのは1946年になり、やはり戦争は終わっている。大体戦後熊本に爆撃があったなんて聞いた事ない。

更に盧某なる慰安婦の場合生年月日は記載がないが、1938年17歳の頃畑仕事中軍人に捕まり慰安婦にさせられたと言う。その後25歳の時逃げ出し韓国に戻ったと言うがこれまた1946年、戦後の話になる。

…と、いった具合である。

官房長官だとか、元衆議院議長だとか、元自民党総裁だとか言う肩書は関係ない。問答無用で国会が証人喚問して真実を語らせるべきだ。少なくともこの人物が政界OBとして意見を口にする資格はない。その前に自分がした事の真実を語るのが先だ。逃げ回っているのは人として卑怯な振る舞いだし、談話の正当性に自信があるならば堂々と討論を受ければ良いだけだ。

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慰安婦の通帳。「性奴隷」がこれだけの大金を持っていたのだ。因みに同時期の大将の月給は550円である。

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慰安婦とされている女性達。「性奴隷」にはとても見えない。