まだ「終わり」ではないオウム事件
EUでテロ事件が発生した場合、実行犯をその場で射殺した、と言うケースがある。「テロを起こす」事自体論外な行為なのは論を待たないが、それでもその場から逃亡に成功する、または即座に投降して生け捕られれば少なくとも自分の生命の安全は保障される、と言う事になる。例えどれだけ多数の人を殺し、傷付けてもだ。一方日本の場合、「犯人生け捕り」が大原則だ。如何なる悪事であれ、「法の裁き」を受けさせる為だ。犯罪者にも人権がある、と言うならその「人権」の中には「裁判を受ける権利」だってある筈だ。例え現行犯だ、と言ってもその場で抵抗したからと言って射殺するのは「犯人の『裁判を受ける権利』を侵害」し、「生命を奪う『非人道的な行為』」と言わないのだろうか?国家が法に基づいて死刑を執行するのを「国家権力による最大の人権侵害」と言うなら軍や警察、と言った「国家権力を行使する立場」の人間が現行犯を射殺するのだって「国家権力による最大の人権侵害」としなくてはならない。要は単なるダブルスタンダードに過ぎない、と言う事だ。それでも
「被害者の気持ちに寄り添いたい」
と言うなら現実にオウム事件の被害者やその遺族には
「死刑執行は当然」
と言う声だってある。そういう被害者感情にドイツ人はどう寄り添ってくれる、と言うのだろうか?
と、発言。意外、と言うべきか「冷静な判断を見せている」と言えるだろう。不肖筆者個人としてはこの人の考えには賛同出来ない事は多いが、これは「一つの見方」として評価されるべきであろう。「ジャーナリスト」としての「格」も有田芳生などとは大違いである。
また、松本サリン事件でも第一通報者の男性を犯人であるかの様にマスコミは報道した。特に当時TBSアナウンサーだった杉尾秀哉はそういう前提で男性を追及したが、そういう反省など何処吹く風、で杉尾秀哉は国会議員にまでなってしまった。杉尾にと言い、有田芳生と言い、ロクでもないのが国会議員をやっている。TBSもろともこの連中も「ケジメ」は付けて貰わなくてはならない。
そういう意味では死刑囚の死刑執行で「区切り」になっても「終わり」にはならない。今回の死刑執行も「何故このタイミング」と言う疑問が出ているが、来年には天皇陛下のご譲位、皇太子殿下のご即位がある。オウムの連中に恩赦など世間が納得しないし、だからと言って対象外にする訳にもいかない。また、東京オリンピック、パラリンピックを塀の中とは言え、あれだけの事件を起こした連中が居たまま開催する訳にもいかなかったのではないのだろうか?だとすれば残りの死刑囚も間もなく死刑執行されるのではないか?
いずれにしても先に述べた様に死刑執行は「区切り」になっても「終わり」ではない。まだ片付けなくてはならない問題は残っている、とも言える。それを思い起こさせる「きっかけ」であるとも言えるであろう。オウム事件はまだ「終わり」ではない。