ファシズム化しつつある相撲協会

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※「平成の大横綱」の不本意で不可解な退職は残念至極。

貴乃花親方が相撲協会を退職し、親方を引退する、と会見し、その理由が波紋を呼んでいる。


貴乃花親方が退職を決断した理由は元日馬富士の傷害事件を巡る内閣府への告発状についてだった。告発直後に発生した貴乃花部屋での暴行事件で取り下げざるを得なくなったこの告発、相撲協会としては

「事実無根」

としているが、告発状を取り下げたとは言え、貴乃花親方としては

「真実を曲げられない」

と見解が対立していた。

そこに7月に決定した

「全親方は5つある『一門』のいずれかに所属しなくてはならない」

と言う決定が対立に拍車をかけた形になった模様だ。

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貴乃花親方「だけ」が所属する一門が未定だった。

そもそもこの決定、正式な書類による伝達はなく、貴乃花親方は、記者の質問などで知る始末だったと言う。しかもこの「決定」は公表されず、「各一門代表の理事から親方衆に通達されただけ」だった。無所属だった貴乃花親方が決定を知ったのはなんと9月の秋場所の序盤だと言う。日馬富士の傷害事件では「巡業中に起きた事件の報告を怠った」と、理事会は貴乃花親方を糾弾したが、自分達もそういう重要な決定を2ヶ月近く「一門経由では情報が伝わり得ない」貴乃花親方に伝えていなかった訳だ。どうもこの連中には「意識改革」と言う認識はないらしい。

また、無所属のままなら部屋閉鎖などとする案は実際に取り沙汰されていた模様で、「決定事項」でないにしろ「そう言う案も取り沙汰されている」と聞いた貴乃花親方からすればその時点で対象になるのは「旧貴乃花一門」の親方しか居ない。実際に「決定事項」かどうかに関わりなく、それを聞いた貴乃花親方が

「そう言う方向性を認識し、それを『圧力』と感じた」

としても何ら不思議はない。貴乃花親方と相撲協会のこの件での認識の相違はこの様な状況下では起こり得る事であろう。

相撲協会は「圧力はなかった」と貴乃花親方の主張を全面否定しているが、「何故貴乃花親方に伝達が遅れたのか?」は明確にすべきであろう。そもそも相撲協会など「世間の常識で計れない」異様な集団である。「親方の一門所属義務」を公表しなかった理由も不透明だ。貴乃花親方に「だけ」は伝えず、この様な展開に持ち込む事が最初からの狙いだったのではないか?と言う疑いさえ出てくる。

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※不可解な決定事項について相撲協会にも説明責任はあるだろう。

そもそも「親方に一門所属義務」を課す理由は、

「公益財団法人として助成金などが出ている関係上、お金の流れを透明化して、公益財団法人のガバナンスを強化することが目的」

と、相撲協会は説明している。一見もっともにも思えるが、相撲協会に「その気」さえあれば「助成金支給」を人質にしたり、「一門の結束」「一門の総意」と言う殺し文句で理事会の意に沿わない親方の言動を縛る事も不可能ではないだろう。また、そうする事でかつて貴乃花親方がした様な

「自身の意見を通して一門離脱→賛同する親方を集めて新一門結成」

と言う動きは事実上不可能になるだろう。また、極端な話、

「自己都合や正当な理由がない一門間移籍を禁じる」

と言った不文律や申し合わせでもあろうものなら、「第二の貴乃花親方」が誕生する余地はまずなくなる。それどころか「一門が5つ」故に

「理事は各一門2枠で一門内持ち回り」

と、して理事選挙を拒否する事だって不可能ではない。また、理事長はじめ各ポストも持ち回り、とする事も可能なのだから、そうなれば「理事」は「甘い汁を吸う為の椅子」と言う意味しか持ち得ず、理事会を有名無実化して

「理事長と各一門の長だけで全てを決める」

体制を作り上げる事も不可能ではないのである。

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※この様に現体制でも元日馬富士の傷害事件で貴乃花親方の主張は黙殺された。

かつての自民党の派閥政治より最悪なこの様なガバナンスを相撲協会が志向している、とは考えたくないし、そうであって欲しくはない、と願うばかりだが、何せこの連中は「公益財団法人」を名乗りながら「世間の常識と著しく乖離した」集団である。こう言うのを「ファシズム」と言い、それは国賊野党界隈が言う「アベ政治」より危険で日本に存在するには相応しくない代物だ。そう言う相撲協会の流れに貴乃花親方が絶望したのであれば、今回の決断も理解出来るものだと言えるし、本当に相撲協会がそういう流れであるなら国家権力が介入してでもそれは「止めなければならない」事である。

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相撲協会の闇も相当なものだろう。

…このまま貴乃花親方が角界を去り、相撲協会が何も変わらないのであれば相撲人気は低迷していく事になるだろう。角界それ自体が世間と余りにも「乖離し過ぎた」「ムラ社会過ぎる」のだ。内部に居るとそう言う認識さえ持ち得ないのかも知れないが、それだけ世間と認識が乖離している事を認識しないと始まらない。それこそが「角界の闇の深さ」そのものである。