届かない仏陀の言葉

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サンフランシスコ平和条約の際、セイロン(現スリランカ)代表で会議に参加していたジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ蔵相(当時)の演説で「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によってのみ止む」と、仏陀の言葉を引用し、セイロンは日本への賠償請求を放棄、他の参加国の賛同もあり、日本の国際社会復帰を後押ししてくれた。日本にとっては感謝してもしきれない程の有り難い対応であった。また、彼の演説に心打たれた人は沢山いたはずであろう。

…比較しては彼に失礼なのは筆者も承知だが、一国の指導者でありながら「加害者と被害者の関係は千年経っても変わらない」と、曰うた隣りの大統領とは器が違うのである。器が。

そんな国の国会議員が終戦記念日に来日し、靖国神社で非難活動をしようとした。明らかな内政干渉であり、そうでなくとも靖国神社で彼等がやろうとした事はこの地に眠る英霊への冒涜である。死者に鞭打つ真似をする程かの国の反日エスカレートしている。
…実際には彼等は靖国神社には入れずその付近で安倍首相批判、改憲反対、軍国主義復活反対と曰うていたようだが、一体誰が相手にしたのだろうか?

ジャヤワルダナ蔵相の引用した仏陀の言葉はこの国には届かなかった様である。大統領以下官民この言葉を聞いて自分達の言動がどれだけ矮小な物か、気付いて貰いたいものだ。

かの国はそういう歴史は直視出来ないのであろう。アメリカに参加拒否された理由は公平に見れば正当な理由だが、それを受け入れる度量がないのは当時から進歩していない証であろう。

だが、かの国の大統領はこうも宣うた。
「歴史を直視出来ない国に明日はない。」
先日サッカーの試合ではかの国はこんな政治的メッセージを日本へ当て付けた。
「歴史を忘れた民族に明日はない。」

まずはサンフランシスコ平和条約に参加拒否された理由、何故日本の放棄すべき領土に竹島が含まれていないのか?更に竹島の領有権を巡る「ラスク書簡」を直視すべきであろう。

…更にかの国では「親日罪」なる事後法が存在し、日韓併合に協力した朝鮮人及びその子孫の財産を国が没収出来るそうだ。憎悪が法治国家の根底を破壊し、法や理性を憎悪が凌駕している。

長崎県対馬の寺から仏像が盗まれ、かの国で犯人逮捕、仏像回収となったが、仏像は日本側が正当に入手した事が確認出来ない限り引き渡さなくてよいと裁判所が判断、該当仏像は日本で文化財の為引き渡し義務が国際法上あるのにも関わらず、である。
仏陀の言葉と逆の言動を繰り返し、その言葉も理解不能となったかの国でその仏陀が開いた仏教の仏像を崇める意味はあるのだろうか?
仏陀は現在のかの国を見たら一体何を思うのだろうか?