日本人にとっての8月

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日本人にとっての8月と言うのは戦争や平和について考える特別な月ではないかと思う。

6日9日の原爆投下、そして15日の終戦先の大戦は日本はもとよりアジア諸国を巻き込んだ戦争であり、その為犠牲になった人が大量に出てしまった事はまぎれもない事実である。

大東亜戦争侵略戦争だったのか否かはともかく、結果として敗戦、その後の平和国家としての歩み、更に将来的な我が国の在り方と言う点は特に15日の終戦の日は政府はもとより国民一人一人が考えるべきではないだろうか。

戦後68年経つがその間日本を取り巻く環境は大きく変化している。現状をざっと見ても支那、韓国、北朝鮮は明らかな反日態度の国であり、それぞれ尖閣侵略、竹島強奪、拉致問題、核問題と解決容易でない問題も抱えている。更に連中の捏造歴史の押し付けを跳ね返し、真実を世界中に信用して貰うには一筋縄ではいかない。
 
台湾はそれらからすればまだ親日的と言われるが、矢張り尖閣の領有権主張等問題はある。
ロシアとも北方領土問題がある。安倍首相の訪露やロシアとの2+2等進展が皆無ではないが、我が国としては4島返還は国是であるし、ロシアからすれば対支那対策で「敵の敵は味方」程度に過ぎない事も考えられる。利害の一致があればいいが、そうでなければ真の味方になってくれるかは不透明だと言わざるを得ない。

我が国の周辺国はこの様に真の味方と言える国はないのである。
日米安保があるから大丈夫とも言えない。民主党政権が破壊したアメリカからの信用を完全に回復出来たとはまだ言えないだろう。支那尖閣を武力侵攻しても即日米安保発動とはいくまい。

従って現状の平和憲法による平和は既に砂上の楼閣と化している。しかし誰も戦争は望んでいないだろうし、どうすればいいのか?と言う疑問は当然出てくる。

筆者としては矢張り憲法改正を行い現状に即した形にするべきだと思う。周囲で右傾化だ軍国主義の復活だと騒ぐのに惑わされてはいけない。雑音を排して日本の憲法は日本の為に在るべきだという原点に立ち戻って考えれば自明である。平和の為の日本国憲法だと言うなら平和の為に進化させて何が悪い?
そもそも戦前の日本が軍国主義化したのは文民統制がなく、軍部が簡単に意に沿わない内閣の倒閣が可能だったからである。文民統制がしっかり出来ていれば問題ない話なのである。

支那や韓国はそこには触れず再軍備=軍国主義復活と決め付けで非難するから惑わされるに過ぎない。向こうからすれば非難するべき相手に軍事的制限があった方が色々やりやすいに決まってる。

安倍首相再登板のお陰で改憲議論が動き出した。良い機会だけに8月15日は一人一人で将来の平和とその為の現状解決すべき問題について考えてみては如何だろうか。