集団的自衛権行使、何が問題なのか?

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安倍総理ASEAN諸国の大半の首脳と会談しているが、シンガポールのリー首相と会談した際「現在の日本の憲法では日本とシンガポール軍が一緒にPKO活動している時にシンガポール軍が攻撃されても自衛隊は救援出来ない。」と話したそうだ。これを聞いたリー首相は「えっ!?」と驚いた顔をしたという…

自衛隊集団的自衛権が認められていない為、このようなケースは起こり得る。その時何も出来なかった自衛隊は非難に曝されるのは火を見るより明らかであろう。果たしてそれでいいのだろうか?

集団的自衛権とは同盟国への攻撃を自国への攻撃と見做して自衛権を発動出来る権利である。
9.11テロの際NATOが発動したケース等がある。

日本の場合集団的自衛権の規定は憲法上ないが、サンフランシスコ平和条約には日本の集団的自衛権の保持が明記されている。故に保持しているのは間違いない。問題は運用出来るか否かである。 

政府の解釈としては「保持しているが行使出来ない」である。些か奇妙な解釈にも感じるが、いずれにしても現実には「軍事同盟は締結しているのにその同盟に基づいた行動は出来ない。」と言う事になる。

その解釈を変更する、若しくは法による規定を設けて集団的自衛権を日本も行使出来る様にする。安倍総理が意欲を示す政策でもある。

筆者は賛成派である。出来るなら憲法改正でハッキリ規定してもらいたいが。

戦後70年近くが経ち、我が国の安全保障の在り方も変化していると言えまいか?「専守防衛」だけで国際情勢の変化に対応出来ると断言出来るか?現在の法体系で尖閣を侵略している支那に対応出来ると断言出来るか?国際平和の構築と維持に日本に求められる事項に対応出来ると断言出来るか?北朝鮮が暴走したら現行法で対処しきれると断言出来るか?
…出来ないなら変わるべきは我々なのである。

それでも反対する人はいる。「日本が戦争出来る国になる。」「他国の戦争に日本が巻き込まれる」等という批判だ。
しかし考えようによっては幕末に開国か攘夷かで国論が二分された時、攘夷派に「鎖国は祖法である。それを変更するのはまかりならん。」と主張した人々と集団的自衛権行使反対派は本質的には変わらない。

…結果的にだが開国し、近代化した日本はアジア諸国で唯一列強の仲間入りを果たした。鎖国に拘り、近代化を拒んだ隣の国のその後の歴史を見れば攘夷に拘り続けたら同じ運命になったかも知れない…
歴史に「たら、れば」は禁物だが。

閑話休題
そもそも集団的自衛権行使は戦争をする為ではない。集団的自衛権イコール他国に攻め込むではない。本来集団的自衛権と侵略は何の関連性もない。降りかかる火の粉を自分だけでなく隣にいる仲間の分も振り払うと言う事に過ぎない。
支那や韓国は「日本の集団的自衛権行使は軍国主義の復活」「日本の集団的自衛権行使で再び朝鮮半島侵略が可能になる」等と批判するがこれらの妄言に惑わされてはいけない。

日本の安全保障は日米同盟を基軸にしており、それが支那北朝鮮、韓国あたりの周辺国に対する抑止力として機能し、これからもそうであり続けるべきものである。その抑止力強化の手段としてである。逆もまた然りで在日米軍への攻撃に自衛隊が対応可能になる事でそれが在日米軍への攻撃に対する抑止力になる。自衛隊の実力を以てすればその役割は十分に果たせるであろう。

「平和は守るだけでなく勝ち取るものだ」と言う考えに賛同出来るならば現行法で不可能なそれを行う為に法改正を行うと言う考えは自然な流れだと思うが如何なものか?