特定秘密保護法、どっちもどっち。

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先の臨時国会で最大の懸案と言える特定秘密保護法がすったもんだの末成立した。

タテマエを言うのならば外交や安全保障に関する秘密情報の取り扱いのルールであり、当然罰則も付いている。

今まで機密情報に関するルールはなく、その運用原則、また新設のNSCと連動、他国のNSCと情報共有等のメリットが考えられる。
例えばアルジェリアで起きた悲劇がこれにより防げると言うならば賛成する理由はあるだろう。

しかし反面情報を秘密にするのは国民の「知る権利」を制限する事にもなる。当然取材の自由も制限される。
メディアはこの点を挙げて大半が反対派となり、国民も賛否両論であった。

国会審議については与党も強引な国会運営であったのは否めない。本法がないNSCではスパイスを入れ忘れたカレーの如く失敗作になるのがオチだから無理矢理でも成立させなくてはと与党も焦りがあったのだろうか?
野党も反対一色にはなれず終いでとくに酷かったのはみんなの党衆議院では賛成、参議院では党は棄権、造反が出て反対とバラバラで結局分裂と、結党時、筆者も少しは期待したみんなの党は最悪の対応であった。

反対派の言動も酷いもので、あろうことか参議院本会議場に靴を投げた男がいた。国権の最高機関(となっているだけで実は伴っているかは疑問だが)に対する冒涜のみならず(例えばイスラム世界では靴を投げつけるのは相手を最大に侮辱する行為)、民主主義に対する挑戦でもある。また、公権力に対して唾を吐く(これも侮辱行為)、実力行使(体当たり)と、目的の為には手段を選ばない無法ぶりを見せてくれた。

自民党の石破幹事長は大音量デモをテロと言って物議を醸したが(後に撤回)、あながち間違ってなかったのではないかとさえ思える。まぁ、どっちもどっち。酷いもので成立したものの後味の悪さだけが目立つ。

本法のように相反する利益が衝突するケースはままある。こういう場合、利益の大きい選択肢を選ぶのも政治ではないかと筆者には思えるのである。
少なくとも安倍首相は秘密情報の運用ルールを作る利益が国民の権利を保護する利益より大きいと判断したからこそ本法を推進したのではないかと思える。

勿論個人の観点からすれば本人の利益追求の方が享受する利益は大きいから反対する理由にするのも分からなくもない。

しかし権利というのは果たして無制限に主張出来るものなのだろうか?憲法で保障されている人権でさえも公益の前では制限があるのはやむを得ない。それはどうも忘れられた話の様に感じてしまった。

議論の本質は日本の安全保障であり、その安全保障は尖閣諸島に対する支那の侵略により揺らいでいるのが現状だ。個人の利益追求の果てに国土を奪われ、国家主権を踏みにじられているのでは本末転倒だ。

…にも関わらず反対派の主張がそこにあるのがどうにも不思議なのである。メディア報道でも議論の本質を人権問題にすり替えているケースもあった。まるで平成の治安維持法であるかの様な言い方で反対する人もいた。戦争準備の如く主張する人もいた。政府が国民にスパイ疑惑をかけて摘発し、証拠を捏造して有罪に出来ると反対する人もいた。そういう主張に限って本質の安全保障には触れない…

国を為すのは人である。しかしその人がそれぞれ自分の権利を無制限に主張していたら国として成り立たない。また人権は人として存在するからには必然の権利も、また法により認められた権利もある。その法とは国が国として存在する為、国民に権利を与えると同時に権利を公益の下に制限する性質もある。法が想定する事態を考慮すれば本法の様に個人の権利よりも公益を優先してもあながち間違ってはいないだろう。
寧ろ問題は運用面であろう。反対派の懸念を現実にしない様な慎重な運用が要求される。また、運用してから問題が出る事も有り得る。それらに如何に上手く対応出来るか、安倍首相の手腕が問われる。