そこまでするか?韓国人?

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セウォル号沈没事故を受け、支持率低下を招いた朴槿恵だが、その国民向けの談話の際、犠牲となった高校生や教員、乗組員ら10人の名前を読み上げながら涙を流した。その涙には
「よく見られる政治的な涙ではなかった。国を惨事に追いやった不条理を正したいという願いもこもっているのだろう」
「談話文を謝罪で始めて、涙で終えた」
「謝罪の誠実さが感じられる」
といった肯定的な見解と
「これまでの“涙もない”に対する批判の世論を反映したものかもしれないが、涙を流したことはひとまず評価しよう。国民の涙が枯れた状況になって出てきた大統領の“遅刻の涙”が話題になり、涙の“希少価値”が高く評価されている現実はなぜか苦々しいばかりだ」
「談話でも宣言でも、一歩遅れて涙を流そうがしまいが、(朴槿恵がミサに出席した明洞)聖堂で『私のせいです』と胸を打とうがしまいが、このような大統領府と権力構造の中で成り立つのは、すべて偽物に成らざるを得ない」
「韓服や洋装ファッションで無能と無知を隠すことはできず、出処の分からない涙とジェスチャーで誤りを覆い隠すことはできない」といった否定的な見解が出ていた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140527-00000500-fsi-bus_all

この真贋論争に決着を付ける為…ではないだろうが、朴槿恵の談話発表の際の音声を分析にかけたと言うから驚く…と、言うより呆れる。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140527-00000026-rcdc-cn

記事によれば分析の結果朴槿恵が涙を流した部分の声の周波数は通常時と異なり「強い悲しみや激しい感情が原因だ」として、この時の涙は「ウソ泣きではなく本物」であると断定している…のだが…?

筆者の様に口が悪いと「普段韓国人はウソばかり吐くから、肝心な時に言われた事がホントかウソか判断出来ないんだよ!」と言いたくなるのだが、その対象は腐っても鯛の自国の大統領である。いくらセウォル号沈没事故で韓国中が悲しみに包まれようが、真っ先に乗客を見捨てて逃げ出した船長をどれだけ非難しようが、政府の対応が最悪であろうが、常軌を逸した異常な分析であるとしか思えない。そこまで信用しないかねぇ…?

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セウォル号沈没事故の反省として韓国メディアは「自分達が変わらなくては第二のセウォル号沈没事故が発生する。」といった感じの論評を連発したが、まず自国の、それも自分達が選んだ大統領を信用する事から始めてはどうか。大統領の音声を分析にかけて真贋判定する時点でいつも通りの韓国人じゃないか。そんな気がしてならない。

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