リアリティとフィクション

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アメリカで電子交通標識がハッキングされる事件が発生したという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140609-00000042-reut-n_ame

特にサンフランシスコのバン・ネス・アベニューでは「ゴジラ襲来。引き返せ」という点滅サインが表示されたと言う。明らかな犯罪だが、大ヒットの映画に掛けてハッキングとは犯人にはユーモアのセンスが…などと言おうものなら不謹慎だとお叱りを受ける事になる。筆者は実際に見た訳ではないが実際に見た人々はパニックになったか、はたまたジョークと受け止めたか…?

冗談はこれ位にして、公共交通標識のハッキングなど許されない犯罪行為であるのは論を待たない。

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さて、「ゴジラ」という名の映画は以前にもハリウッドで製作されている。その1998年公開「GODZILLA」は一般的には評価は低い。(第19回ゴールデンラズベリー賞において最低リメイク賞、および女優のマリア・ピティロが最低助演女優賞を受賞 )筆者の個人的な感想で言うとストーリー構成や時折見られる小ネタには面白い部分はあると思うのだが、その姿(公開までシークレットだった)や設定が日本のゴジラとは余りに異なっていた為違和感を抱いた人が多かったのは事実だろう。

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98年版ハリウッドゴジラのキャラクターデザインを担当したパトリック・タトプロス氏(余談だが彼の名字が主人公に使われている。)によれば「オリジナルの修正では却って失礼」と考えてデザインを1から始めたそうだが…

またゴジラの設定も日本では既存の生物を超越した存在として描かれる。だから自衛隊に実在する兵器がゴジラにダメージを与える事はまずなく、活躍するのは専ら架空の兵器である。

これに対して98年版ハリウッドゴジラは既存の生物の延長線上に描かれたと言える。魚を主食にしたり、卵を産んだりするのはその一環だと言える。だからか米軍に実在する兵器で退治される。筆者が一番違和感を覚えたのはこのシーンだった。

映画もエンターテイメントの一つであるが、リアリティとフィクションのバランスは難しい問題なのだろう。98年版ハリウッドゴジラはリアリティを持たせ過ぎた感がするが、今回は観客の期待通りのスタイルのゴジラである。日本公開はまだだが海外でのヒットにはそういう要因もあるのかも知れない。

…因みに小説版ジュラシック・パークにはパークの恐竜に極力(科学的)リアリティを持たせたいとするオーナーとリアリティはなくとも客の期待通りの恐竜に遺伝子操作で改良(?)すべきとする科学者が議論するくだりがある。さて、どちらがよいのだろうか?どちらが正解と言う事はないだろうが。