原爆と集団的自衛権は関係ない

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8月は日本人として「戦争と平和」について考える月ではないかと筆者は考えている。言うまでもなく6日には広島に、9日には長崎に原爆が投下され、合わせて20万人以上の人が亡くなった。今尚原爆の後遺症に悩まされる人々も多数いる。

筆者が中学生の頃、個人的に勉強を教わっていた方がいたのだが、その方は長崎で被爆されたと筆者に語っていた。その後の戦後50年の際、戦争を知らない世代として学校代表で戦争についての作文を学校のあった市に出した。個人的には先述の恩師の話があったので、若気の至りか、原爆への憎悪むき出しかつ、当時フランスが核実験を敢行して世界中から非難されていたので当時のシラク大統領を名指しで批判した文章になってしまった。

それから20年近く経ったが舞台がブログに移っただけで、口の悪さは変わってないようだが。

http://sankei.jp.msn.com/smp/politics/news/140807/plc14080703370005-s.htm?utm_medium=twitter&utm_source=twitterfeed

さて、産経新聞が長崎での平和宣言の内容に懸念を示している。宣言内に集団的自衛権について触れて、行使容認を巡る議論が国民の間に平和に対する不安が広がったと言った内容が盛り込まれる予定だと言う。

産経は「主張」の中で「平和宣言の政治利用」「慰霊の日の宣言に相応しくない」と批判している。

原爆の日」に慰霊の式典を行う意義は犠牲になった人々の霊を慰め、核兵器使用による惨禍を繰り返さない為、そして広島、長崎の悲劇を忘れない為にあるのではないのか?「平和である事」は「集団的自衛権が行使出来ない事」ではない。平和を追求するのは決して間違っていない。核兵器を「絶対悪」と糾弾するのもいい。だが、「平和を維持する為」にどうするべきなのか?という視点が欠如しているのではないのだろうか?と、感じてしまう。

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戦争より平和である方がいい。そう思っている人は圧倒的多数であろう。筆者とてその一人だ。

しかし戦争と言うのは自分達から仕掛けるだけでなく、相手から仕掛けられて発生する様な事態も有り得る。そういう可能性を一部の日本人、特に左翼連中は考えていないようだ。しかも現在支那尖閣諸島に侵略の野心を明らかにし、北方領土はロシアに、竹島が韓国に不法占拠されている現実があるのに、だ。

平和を維持する為にはそれなりの行動も必要ではないか?何もしないで平和が維持出来るなら世界中がとっくにそうしている筈だ。

戦争で亡くなった人を追悼するのに政治問題は関係ない。純粋に亡くなった方々を追悼する場に出来ないものか。