モンゴルに学ぶ自虐史観脱却

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チンギス・ハーン。モンゴルが生んだ民族の英雄と言っても過言ではない。その前半生は謎に包まれており、源義経が日本から逃れて大陸に渡った姿なのだとする伝説まである。その真偽はさておき、チンギス・ハーンが一代にしてモンゴル高原どころかユーラシア大陸の大半を征服してモンゴル帝国なる大帝国を作り上げたのは間違いない。モンゴル人からすれば民族の英雄だと祭り上げるのは寧ろ当然の成り行き…と、言いたいがこの人物の評価についてはモンゴル国内でも一筋縄ではいかなかったのが実際の所である。

モンゴルはかつては社会主義の国であった。その建国はソ連に次いで世界で二番目の社会主義国家誕生であった。建国にソ連の協力があった為に、冷戦時代は一貫した親ソであったばかりかソ連はモンゴルを16番目の構成国家にするつもりであったとも言われている。

そのソ連領だった地域の多くにかつてチンギス・ハーンに征服された歴史がある。従ってソ連歴史認識ではチンギス・ハーンは「残虐な侵略者」でしかなかった。

さて、社会主義国家だった頃のモンゴルは当然ながらソ連の影響力が大きく作用していた。政治経済どころか、歴史認識までも。それ故モンゴル国内でも「チンギス・ハーンは残虐な侵略者」と、言うソ連歴史認識を鵜呑みにしていた(せざるを得なかった)と言うから驚きである。モンゴル人も自分達の民族の英雄を「侵略者」と貶めていた時期があったのだ。

80年代になるとソ連におけるペレストロイカなどにより、モンゴルでも民主化の動きが始まり、現在は社会主義体制を放棄して民主化が成し遂げられている。それと前後してチンギス・ハーンも再評価され、官民一体で彼を「民族の英雄」へと変えていった。

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※日本もモンゴル同様に自虐史観から脱却すべきだ。東京裁判には根拠はない。

翻って我が国はどうか?大東亜戦争はおろか朝鮮半島の独立の為だった日清戦争まで侵略戦争だったと言う歴史認識が横行して、そね修正云々以前に歴史的事実を口にしたら異端者扱いされかねない風潮である。発端はGHQの仕組んだ自虐史観にあり、それは修正されて然るべきものだ。「ウォー・ギルト・インフォメーション」と称して「戦争は悪」と日本人に刷り込んだ国はその後どれだけ戦争を行ってきたか?

戦争はよくない。ない方がいいに決まっている。だが刷り込みが強すぎたのか平和を維持する為の正常な措置すら悪と決め付ける思考に陥ってしまって、歴史認識も自虐的な思考が幅を効かせてしまった。

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※日本にはこの様なハンデがあるが日本人はそれを克服する力がある筈。

終戦記念日を迎え、平和について考える機会である。また同時に歴史認識についても考え、チンギス・ハーンの評価を変えたモンゴルを見習って日本も行動してはどうか?それこそが歴史を直視して平和について考える道であろうと思う。