韓国人の不思議なノーベル賞観

イメージ 2


※これではノーベル賞もへったくれもない。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141020-00000016-cnippou-kr
(前編)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141020-00000017-cnippou-kr
(後編)

…これは「ノーベル賞はなぜ韓国を冷遇するのだろうか?」と題した韓国・中央日報のコラムである。

イメージ 1



今年のノーベル賞は物理学賞に日本人三人が選ばれた。対して韓国では科学分野でのノーベル賞受賞者は現在いない。要するにそれが悔しくて堪らないらしいのだ。そこでコラムは韓国人受賞者が誕生する下地として教育環境や手段の変革、国家の関与や支援の拡大を長々と説いているのだが…

これが韓国人の一般的なノーベル賞観ならば根底から認識が誤っている事になる。そもそも科学研究はノーベル賞受賞の為に行うものではないし、また科学者として優秀であるからノーベル賞受賞に値するとは限らないからである。

ノーベル賞の科学部門、即ち物理学賞、化学賞、医学生理学賞は科学者としての研究が認められた結果として授与されるものだ。そもそも発見即受賞とは限らない。ペイトン・ラウスは発がん性ウイルスの発見の約55年後の1966年に受賞しているし、エルンスト・ルスカも同様に電子顕微鏡の開発の約55年後の1986年に受賞していると言うケースもある。

イメージ 3


※但しアインシュタインの受賞については彼がユダヤ系だった故相対性理論を対象から外したとも言われる。昔からノーベル賞受賞は黒い噂がある。

また、偉大な科学者の最大最高の研究が受賞対象になるとも限らない。この例が1921年物理学賞のアインシュタインである。アインシュタインと言えば相対性理論で有名だが、実際の受賞対象の研究は彼が1905年に発表した光電効果の研究に対してである。 

ノーベル賞基本的に人類の技術の発展に繋がる発明や発見、研究に対して授与されるものだ。アインシュタインの例では相対性理論は実生活で殆ど考慮されない。あるとしたら質量=エネルギーの理論だが、人類がそれを具体化したのは核技術、それも最初は原爆である。一方の光電効果は光センサーなどに応用されているものだ。人類に有益な発明がどちらかは言うまでもないだろう。

イメージ 4


※受賞の難しい偉大な発明をした科学者

イメージ 5


※受賞の可能性がある発明をした科学者。似た研究でもこういう事も有り得る。

またSFで例えるのは不適切かも知れないが、「ゴジラ(1954年版)」でゴジラを葬った《オキシジェンデストロイヤー》を発明した芹沢博士は発明自体は物凄いが恐らくこれでのノーベル賞受賞はならないだろう。まだその前段階の《ミクロオキシゲン》を実用化して食糧問題やエネルギー問題の解決に利用しようとした「ゴジラVSデストロイア」の伊集院博士の方がノーベル賞受賞の可能性がある。(伊集院博士はこれで国際物理学賞を受賞したと言う設定。但し作中ではミクロオキシゲンを武器にする怪獣デストロイアの出現で考えを変えてしまうのだが。)

少なくとも韓国人はその辺りの本質を理解している様には感じない。ノーベル賞を一つの権威の如く捉えるのは自由だが、ノーベル賞の本質に馴染まない科学分野の研究も存在するのだ。そこに幾ら力を入れてもノーベル賞受賞対象にならない可能性大なのだ。

科学研究においてノーベル賞受賞は最終目標ではないが、どうしてもノーベル賞が欲しいなら韓国人科学者には人類の共通財産たりうる技術や発見を狙うしなかい。だが只でさえ反日に凝り固まった差別主義の国の国民が人類の為の技術の研究など滑稽な話である。ノーベル賞以前に先ずは韓国人はヒューマニズムから研究してはどうか。それがノーベル賞受賞の第一歩である。