再考「八紘一宇」

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自民党三原じゅん子氏の参議院予算委員会での発言が物議を醸しているようだ。

《 三原氏は企業がグローバル資本主義の中で課税回避をしている問題を取り上げた。この中で「八紘一宇の理念のもと、世界が一つの家族のようにむつみあい、助け合えるような経済および税の仕組みを運用していくことを確認する崇高な政治的合意文書のようなものを、首相こそがイニシアチブを取って世界中に提案していくべきだと思う」と語った。

答弁に立った麻生太郎財務相は「八紘一宇は戦前の歌の中でもいろいろあり、メインストリーム(主流)の考え方の一つなんだと思う。こういった考え方をお持ちの方が、三原先生の世代におられるのに正直驚いた」と述べた。》

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150317-00000000-mai-pol

「八紘一宇」という言葉は日本書紀に記されている神武天皇の言葉を元に、大正期の日蓮宗系の宗教家、田中智學による造語である。戦時中に軍部のスローガンとして使われた経緯もあり、戦後GHQから公文書での使用を禁止された言葉でもある。

「八紘」とは「八つの方角」転じて「全世界」を意味し、「宇」には「家」と言う意味があると言う。従って「八紘一宇」とは字句の意味だけを見れば「全世界を一つの家にする」と言う意味にでもなろうか。全世界が一つの家であると言うならばそこに住んでいる人類は「皆お互い家族」と言い換える事も出来るだろう。そこまで含有して考えれば「人類皆兄弟家族」と意訳することも間違いではなかろう。これだけを見れば軍国主義のスローガンと言うより寧ろ憲法9条の精神に近い。と、言うか本来は軍国主義とは無関係の概念である。

そうなると軍部が何故この言葉をスローガンとして採用したかが疑問になる。まさか日本軍が「人類皆兄弟家族!」と叫んで大東亜戦争を戦っていた等と言うエイプリルフールにも使えない様なジョークを言う人はいるまい。従って軍部がこれに何らかの解釈を加えたのはまず間違いない。
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※第二次近衛内閣でこの様に使われた。

三原議員が自身のブログで引用している昭和13年の「建国」なる書物では引用すると、

『八紘一宇とは、世界が一家族のように睦み合うこと。一宇、即ち一家の秩序は一番強い家長が弱い家族を搾取するのではない。一番強いものが弱いもののために働いてやる制度が家である。これは国際秩序の根本原理をお示しになったものであろうか。現在までの国際秩序は弱肉強食である。強い国が弱い国を搾取する。力によって無理を通す。強い国はびこって弱い民族をしいたげている。世界中で一番強い国が、弱い国、弱い民族のために働いてやる制度が出来た時、初めて世界は平和になる。日本は一番強くなって、そして天地の万物を生じた心に合一し、弱い民族のために働いてやらねばならぬぞと仰せられたのであろう。』
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※三原議員のブログより。

という記述があると言う。勿論現在の国際秩序、家庭秩序では通用しない意見が多々ある。しかし肝心なのは「この書物は昭和13年に書かれた」と言う事だ。当時は弱肉強食が当然の帝国主義の時代であった。それを考えればこの記述は当時としては斬新な発想であるとも言える。この記述が「八紘一宇」の正確な解釈であるとは断定出来ないが、これを前提にして大東亜戦争を見直してみると…
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※タイは独立ではあったが欧米帝国主義の被害者であることに変わりない。

当時アジアで近代化に成功して列強の仲間入りを果たしたのは日本だけだった。支那は列強の食い物にされ、独立国だったのはその他にはタイだけである。しかしこれは列強同士の緩衝地帯にする為の列強の都合であった。実際タイはそれまでの国土の約半分を列強に奪われている。決して無関係だったのではない。つまりこの時代、アジアを見渡せば日本は列強の一員、アジア最強だが、支那は半死半生、タイも列強の都合で生かされているだけでその他の国々、地域は皆欧米諸国の植民地とされ、搾取されていたのである。一方大東亜戦争は戦争目的を「アジア諸国を欧米諸国の植民地支配から解放する」と言う大義名分を掲げていた。そこに上記の「建国」の理念を考慮すると「軍部が八紘一宇をスローガンにしたのはまずアジア最強であった日本が虐げられている欧米諸国植民地の民族が自立できる様に手助けする」という解釈で使ったのではないかと考えられなくもない。良し悪しは別にして少なくとも筋だけは通るだろう。「共存共栄」という発想がこれらを結び付ける。歴史的事実として大東亜会議や終戦後日本に帰らず尚現地の独立の為戦った元日本軍将校の存在がその証左であると言えなくもない。
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※大東亜会議の図。史上初の有色人種のみのサミットでもある。

恐らく三原議員が「八紘一宇」をグローバル資本主義における課税回避問題で言及したのも「強者がその力にモノを言わせて弱者を搾取したり、虐げるのではなく、その強者が弱者の為に手を差し伸べる様な社会やシステムにするべきだ」と言う解釈で使ったのではあるまいか。これなら表現の違いはあれ民主党共産党だって同様の主旨の主張をしていても不思議ではない。大企業がその力で中小企業や下請けを食い物にするのは経済界での帝国主義だとすればそのアンチテーゼとして上記の解釈であれば「八紘一宇」を持ち出す余地はあるかもしれない。…尤もこれでも言いたいことは判るが敢えてその表現を使う妥当性があるのか?という疑問は残るのだが…

従って「八紘一宇」と聞いただけで条件反射的に「極右」とか「戦前回帰」とか「軍国主義礼賛」等と批判するのは短絡的かつ愚劣な反応である。元々言葉自体に軍国主義との関連性はないのだから。
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ASEAN諸国が日本を信頼してくれる理由を考えて見るべきだ。

「八紘一宇」を「人類皆兄弟家族」とか「強者が弱者に手を差しのべて共存共栄」という意味で使うなら現在でも通じるヒューマニズムだ。杉原千畝の「命のビザ」も発想の原点はこの「八紘一宇」であるという指摘もある。戦前のスローガンでかつGHQに使用禁止されたからと言って全否定するのは思考回路の停止に等しい。戦前戦中のものは何でも悪い、と決めつけるのではなく先入観を廃して先人の残した言葉の意味を考えるのも戦後70年の今年行う事も悪くはないのではあるまいか。GHQが「八紘一宇」「大東亜戦争」などといった言葉を使用禁止にしたのは日本に戦争には勝ったかも知れないがイデオロギーでは負けたと自覚していたからであろう。日本は言わば「試合に負けたが勝負には勝った」のだが、GHQは後世の日本人にそう思わせない為言葉自体を消し去ろうとしたのではあるまいか。だとすればGHQの功罪も見つめ直す必要があるのは言うまでもない。
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※こういう指摘が日本にされたことも忘れてはならない。