人間VSコンピューター

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※電王戦を戦ったプロ棋士とソフト開発者達

将棋のプロ棋士VSコンピューターの対戦「電王戦」開始以来初めてプロ棋士が勝ち越す結果に終わった。…のだが…

《プロ棋士とコンピューターソフトによる対抗戦「将棋電王戦FINAL」(ドワンゴ日本将棋連盟主催)の最終第5局は11日、阿久津主税(ちから)八段(32)がソフトの「AWAKE」に21手という短手数で勝利し、通算成績を棋士側の3勝2敗とした。

対抗戦形式となった2013年以降で棋士側が勝ち越したのは初めてで、プロが面目を保った形となった。

対局は序盤で阿久津八段がAWAKEの弱点が出やすい局面へと持ち込んだ。AWAKEが打ち込んだ角が後に取られる形となり、ソフト開発者の巨瀬(こせ)亮一さん(27)は対局開始からわずか49分で投了した。21手での終局は、電王戦史上最短だった。

阿久津八段にとって研究済みの展開で、「ソフトの貸し出しを受けて3、4日でこう指してくる可能性があるとわかった」。一方、巨瀬さんも貸し出してから弱点に気付いたが、電王戦ではソフトの修正が認められていないため、間隙を突かれた格好になった。》

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150411-00050129-yom-ent

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※電王戦の通算成績。

…今回通算2勝2敗で迎えた最終戦勝った方が勝ち越しの大一番だったので注目度も大きかった様だが、呆気ない上に後味が多少なりとも悪い結末になった感じは否めない。

この最終戦に登場したコンピューター「AWAKE」にはバグが存在しており、そのバグが原因で電王戦とは別の人間相手の対局で対戦したアマチュア棋士によって「嵌められた」形で敗北していた。勿論開発者の巨瀬氏も電王戦での対戦相手の阿久津八段もそれは認識していたのだが、電王戦の規定上そのバグの修正が出来ないまま対局することになり、阿久津八段は同様の嵌め手を用いた為、開発者の判断で投了となったそうだ。

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※その投了図。

ネット上でも賛否両論で「プロが嵌め手で勝つのは見たくなかった」とか「やるなら正面からガチンコで勝って欲しかった」また「勝つ為の最善の手段を追究した結果で責める筋合いはない」や「ルール上問題はない」等と言った意見が出ている。コンピューター側に対しても「どうせなら最後までやらせるべきだった」とか「(開発者の巨瀬氏も元奨励会にいたので)この局面でプロ相手には勝てないと言う判断だろう」と言った意見が出ている。ただし「人間VS AWAKE」で同様の局面は3回出現して人間が勝ったのはその内1回だけだったとも言われているので上記投了図から続行したとして100%阿久津八段が勝っていた、とまでは言えないかも知れない。
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※カッコイイ勝ち方だった永瀬六段。

尤も第2戦の「永瀬六段VS Selene」でも人間同士の対局ではまず有り得ない「角不成」の一手をコンピューターが認識出来ず王手を無視して敗北すると言う決着もあった。ただこちらの場合はそんな事をしなくても普通に永瀬六段の勝ちだった、というのが衆目の一致した見解だった。永瀬六段は「バグを指摘した上で」勝つべくして勝ったのであり、「嵌めた」のではない。…カッコイイ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150321-00000023-it_nlab-sci&pos=1

…筆者が学生時代多少ではあるが将棋をかじっていた頃はコンピューターは性能の問題もあり、精々「アマ強豪」クラスでプロと戦えるレベルでない、とされていた。プロ棋士でも「コンピューターに頼り過ぎると将棋が弱くなる」などと言われていた程だ。将棋は例えばチェスと違って「取った駒を再利用出来る」ルールがある。これが一つの壁になっていたそうだが、コンピューター自体の性能の大幅アップもあり、既にプロと互角どころか凌駕するレベルに達しつつあると言っても過言ではあるまい。現に唯一電王戦3年連続登場の「ponanza」は3年連続でプロ棋士を撃破している。恐ろしいソフトである。

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※人間でこういう初手を指すのは初心者だったりするのだが…

また上記の図の様にプロではまずやらない初手を選択する事もあると言う。その上で人間(それもプロ相手に)勝つ事もあると言うからさぞかしコンピューターもプロ棋士にとって脅威となった事だろう。既にプロ棋士の対局でも「VSコンピューター」の研究で発見された手を使うなどモロに影響が出ているそうだ。

「人間VSコンピューター」の頭脳戦はこれで終わり、と言う訳ではない。既にお互いの存在が
自身の糧になる関係になっていると言えるだろう。そんな中で今回人間が勝ち越しに成功した意味は大きいのではないだろうか?…と個人的には思うのである。