言われなければ「非核三原則」堅持が理解出来ない野党と核武装の是非

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1984年版「ゴジラ」より。再びゴジラは人類の敵、核の権化として描かれた。

…いきなり30年前の映画の話で恐縮だが、1984年版「ゴジラ」では日本の総理大臣が「非核三原則」を盾に米ソの提案を撥ね付けるシーンがあった。

…作中では30年ぶりにゴジラの存在が確認されるが、当初日本政府はその事実を伏せていた。しかしゴジラによって日本近海にてソ連の原潜が撃沈される事件が発生。ソ連は一方的にアメリカの仕業と決め付けて米ソの全面戦争の危機になる。それを回避すべく日本政府がゴジラの存在を公表するが、今度は米ソがゴジラ抹殺と言う名目で特使を派遣して核ミサイルによる攻撃を提案する。その時小林桂樹さんが演じた三田村総理大臣は「非核三原則」を持ち出して、最終的に米ソの首脳と直談判してこれを拒否する…

相手が例えゴジラであろうが何であろうが、日本には二度と核は落とさせない、使わせない、と言う断固たる決意を示したシーンであると言える。…もっともそれでも作中ではソ連は核ミサイル攻撃を諦めずコントロール艦を東京湾に忍ばせていた。皮肉にもその船がゴジラによって破壊され、コントロール装置の誤作動で核ミサイルが東京(にいるゴジラ)を狙撃する…と言う展開になるのだが、反核」と言うゴジラのテーマの本質を明確に示したシーンであると言えるだろう。

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※一度は自衛隊ゴジラを止めるのだが…

良くも悪くも日本人にとって現在「非核三原則」は非常に深く根付いた原則であるとも言える。安倍首相は長崎での原爆犠牲者慰霊平和祈念式典にて「世界で唯一の戦争被爆国として、非核三原則を堅持しつつ、『核兵器のない世界』の実現に向け、国際社会の核軍縮の取り組みを主導していく」と述べた。

http://www.sankei.com/politics/news/150809/plt1508090015-n1.html

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※長崎で献花する安倍首相。

安倍首相は広島での式典における挨拶で「非核三原則」に言及しなかった、と野党から批判を受けた。そこで長崎での式典では「非核三原則」を明言する事でこの様な批判を回避しようとした、と言われている。が、安倍首相の配慮不足ではなく、そうやって一々揚げ足取りに勤しむ野党がアホ過ぎると言う話に過ぎないのだ。

…冷静に考えれば簡単に判る事ではあるが、原爆犠牲者の慰霊式典の場で「非核三原則」からの政策転換など間違っても口に出来る話ではない。それこそ犠牲者への最大の冒涜であり、例えて言うなら葬式に御祝儀を持っていく等しい愚行である。そんな馬鹿な事をする人間など皆無であると断言できるが、それすら判らない低レベルなのが野党の連中だと言うことだ。…こんなのを国会議員にしてしまった人を見る目の無さを一国民として嘆く他ない。こんな低レベルな質問に答弁しなければならない安倍首相が気の毒である。

…それ以前に日本が「核を持つ」事が可能なのか?と言う疑問がある。法理上は憲法9条の政府解釈の「自国の防衛の必要最小限度の実力」の範疇であれば保持は可能であるが、どう考えても実際に発射などしようものならばそれを逸脱するのはメガトン級どころかキロトン級でも明白である。広島に投下された原爆で15キロトン、長崎に投下された原爆で22キロトンと言われている。それがこれだけの悲劇をもたらしたのだ。保持するには憲法改正以外方法はないだろう。

だが例え憲法改正して核が持てる、となっても日本人に核を発射は出来ないのではないか?核兵器による悲劇は日本が一番知っている。他国の人間を同じ目に遭わせられるのか?日本人が核の被害に遭ったのは許せないが他国なら良いと言うのでは単なる差別感情でしかない。そもそも抑止力としての保持だから射つ必要などない、と言う意見もあるだろうが、撃てない核兵器を幾ら保持していても相手に竹光だと判ってしまっては意味がないのではないか?

…最近では核兵器を無力化するシステムが開発されつつあるとも聞く。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42138

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アメリカでは既に試験運用されているレーザー兵器。弾道ミサイルの無力化の可能性があるそうだ。

日本としては此方に重点を置いた方が良さそうだと思えるが如何であろうか?まるで映画の世界だが人間は夢や空想としか思っていなかった事を幾つも実現してきた。核兵器の無力化」もも決して不可能ではないのではないか?核兵器は科学技術の誤用の産物であると言えるが、それを克服するのもそれを開発した人類の地球に対する責任であるとも言えるだろう。将来その様な技術が実用化される事は核廃絶の第一歩になる。ならば日本はそういう技術を積極的に研究、導入するべきであると言えるだろう。