有事直前でも危機感も緊迫感も皆無な国会。

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朝鮮半島情勢とは対照的な日本の国会。

朝鮮半島情勢が緊迫している。北朝鮮による韓国への本格的な攻撃までもが取り沙汰されている。一歩間違えれば元来政府が「有事」として想定していた事態に陥るかも知れない。南北朝鮮のバックにいるアメリカやら支那はここで本格的戦争をしても何の得にもならないだろうから恐らく止めに入るであろうが、それまでの間日本が無関係でいられるか?となるとその保障は何処にもない。「日本には少なくとも憲法9条があるから大丈夫」なんて考えが通用しない現実を目の当たりにする可能性すらあると言える。

…ところがそういう緊迫した情勢下でも「国権の最高機関」の場では文字通りの場違いな論戦(?)
が繰り広げられていると言うから呆れてしまう。

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http://www.sankei.com/politics/news/150821/plt1508210029-n1.html

最早「有事直前」とも言えるべきこの状況下安全保障問題に絡めて現在の朝鮮半島情勢について政府の見解や対応を質す質問が皆無だった…と言うのは異様であるとしか言い様がない。これには与党も野党もない。何でそういう質問が出来ない?こういう柔軟性のない連中に国政を委ねて大丈夫なのだろうかと一国民として疑問を感じてしまうのは不肖筆者だけではない筈だ。

21日の審議では自民党では外交と安全保障の努力を両輪で進めることの重要性、公明党は法案の女性への理解を深める必要性について、野党では民主党は金銭トラブルの議員についての追及、維新は自党の対案について、共産党自衛隊が法案成立を前提にした内部資料を作成していた事を追及、とテーマに沿った論戦、と言う意味では与党や維新はまだマシな方かも知れないが、余りにも緊張感も危機感も感じられない。

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※少しは法案に関係したテーマを議論しろ。


問題は質問に関係のないテーマを持ち出す民主党共産党である。この連中は南北朝鮮シンパのくせにこう言う時に限って何も言わないのは一体どういう了見なのか?考えられる可能性は2つ挙げられるだろう。

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憲法9条があってもこれが現実。

一つは「仮に朝鮮半島で戦争が起こっても日本には憲法9条があるから大丈夫」と本気で考えている、と言う可能性である。本当にそう思っているならば正真正銘のバカだ。狂っている。だったら万が一北朝鮮ノドンミサイルが日本に向かって飛んできた場合、是非ともその憲法9条で被害を0にして頂きたい。着弾した瞬間にその妄想が砕け散るのは火を見るより明らかだが、それによって間違いなく多数の人命が失われる事態になる。こんな下らない妄想を打ち砕く代償としてはそれは余りにも大きすぎる。そういう事態になってはならないのは言うまでもないが、この連中がそれを理解しているかには大いに疑問がある、と言わざるを得ない。

もう一つはこの手の質問をした場合、安倍首相から「だから言わんこっちゃない」とばかりに安保法案の必要性を想定ではなく明白な事実関係を以て反論される、そしてそれに反論出来ない、という判断があったからであろう。これは安保法案に限った話ではないが、自らの質問で自分達が不利になるのでは本末転倒であろう。だから最初から触れない、と言う事だ。そもそも対案があればまだ議論にもなるのだろうが、化けの皮を剥がせば民主党にしろ共産党にしろ対案なき「反対の為の反対」である。これではそんな質問が出来る訳ない。共産党はともかく民主党もそれがブーメランになって自分達に跳ね返って来る事位は想定できたのだろう。こういうブーメランは民主党お家芸だが、今回に限っては民主党のオツムでも想定できたのだろう。だとすれば民主党にも少しは学習能力があったのかも知れないが、所詮は「雀の涙」程度のものであろう。民主党に劇的な変化を求める事自体が間違っている。

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※自国民の追悼式そっちのけでこういう式典に参加する癖に朝鮮半島情勢は語れないのはおかしい

…日本の安全保障を担う自衛隊朝鮮半島でのこの事態を傍観しているとは到底思えない。万全の警戒体制が既に引かれているのであろうと推察出来る。日本の安全保障を担うのは憲法9条ではなく自衛隊である。日夜問わず任務に当たっている自衛隊員の方々に最大限の敬意と感謝の意を表すると共に、そういう現実を理解出来ない国会議員は認識を改めるか、それが出来ないのならば「国民の代表たる資格なし」と認めて潔くそれが出来る人にその職を譲って頂きたいものだ。

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※無抵抗主義者の哀れな末路。憲法9条が何の役にも立たない事実を如実に示している。

不肖筆者が如何に南北朝鮮が嫌いであっても戦争にはなって欲しくない、と思っている。戦争をしなければ平和、ではないのである。それなら無抵抗主義と何ら変わりない。「人間としての意志の放棄」と言い換えても良かろう。憲法で「戦争は放棄」してもそれは「人間としての意志の放棄」と言う意味ではない。どうも左翼は「平和」の意味を吐き違えている様だ。これ以上の南北朝鮮の戦争が起こらない事を祈ると共に「平和」の意味についても考えてみたい。

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※「平和」とは与えられるものではなく勝ち取るものである。そしてその「平和」は自らによってのみ破られる訳ではない。