放送大学での偏向試験問題


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…実におかしな事である。こう言うのを「偏向狂育」と言うのであろう。
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http://www.sankei.com/politics/news/151020/plt1510200029-n1.html

放送大学の「日本美術史」の単位認定試験で戦前や戦中に画家が弾圧されるなどした歴史を解説した文章の中から、画家の名前の誤りを見つける問題があったそうだが、何故か試験問題の冒頭に

「現在の政権は、日本が再び戦争をするための体制を整えつつある。平和と自国民を守るのが目的というが、ほとんどの戦争はそういう口実で起きる。(略)表現の自由を抑圧し情報をコントロールすることは、国民から批判する力を奪う有効な手段だった」

…と言う記述があったと言う。試験後学生からの指摘で発覚放送大学

「現政権への批判が書かれているが、設問とは関係なく、試験問題として不適切」

「現在審議が続いているテーマに自説を述べることは、単位認定試験のあり方として認められない」

として問題の削除を行ったと言う。

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放送法4条。放送大学も適用対象。

放送大学放送法の適用対象だと言うが、そんな物を持ち出す以前にどう考えても「現在の政権は、日本が再び戦争をするための体制を整えつつある。」か否かは「戦前戦中の画家弾圧」とは何の関係もないのは明らかである。こう言う問題を出題するのは教授にあらず「狂授」と言っても過言ではなかろう。

当の本人は 「戦争を自分のリアルなこととして考えてほしかった。設問とは関係がある」と言うが詭弁に過ぎない。先述した様に放送大学には放送法が適用される。従って放送大学として行う事は授業でも試験でも「不偏不党・公正中立」でなくてはならない。本人は「試験問題は放送法の適用を受けないのではないか」と反論したそうだが、残念ながらそういう事にはならない。

個人として安保法反対であってもそれは「思想信条の自由」の範疇だ。勿論「学問の自由」「表現の自由」だって憲法が保障している。しかしそれらの権利は何時如何なる場でも無制限に主張出来るものではなかろう。「不偏不党・公正中立」が要求される場で「思想信条の自由」「表現の自由」だからと偏向した自己主張をしていい筈がない。権利だ何だ以前に「人間として」の自制心の問題である。憲法で保障された権利を声高に主張する人間に限って憲法12条で「権利の濫用」が禁止されている事は何故か言わない。おかしなものである。

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※今回のこの教授の出題は憲法12条の精神にも反している。

この狂授、今年度限りで放送大学を辞職すると言ったそうだが、放送大学でなくてもそういった事が理解出来ない人間は教職にあるべきではない。これこそ文字通りの「反面教師」であろう。こんなのが担当でしかも単位認定を人質にされて偏向狂育を受けさせられる学生が可哀想である。しかも教科は政治とは無関係の美術である。やはり教育再生には先ず「教員の教育」が必須であると改めて思う。特に日教組等の癌は早急に摘出して将来を担う若者に「不偏不党・公正中立」な教育環境を提供出来る体制が必要なのである。
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日教組の様な偏向狂育者集団は教育現場には不要である。