アウン・サン・スー・チーと「シンフォニカ・エロイカ」


ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」にまつわるこんな逸話がある。

ナポレオンの活躍を耳にしたベートーヴェンは彼を「人民の英雄」と期待し、ナポレオンに献呈するつもりで交響曲第3番「英雄」を作曲していた。やがて曲が出来上がり、「いざ献呈」となる直前にナポレオンが皇帝に即位した、と言う報せがベートーヴェンの元に届く。それを聞いたベートーヴェンは「奴も所詮は俗物に過ぎなかったのだ」と激怒して献辞が書いてあった表紙を
即座に破り捨てた、と言う。その後ナポレオンが没落した際、ベートーヴェンはこの曲の第2楽章の「葬送行進曲」を指して「私はこの事態を予言していたのだ」などとドヤ顔で周囲に語ったと言う…

これは彼の弟子の回想なのだそうだが、実際には現存する浄書総譜には表紙を破り取った形跡はなく、表紙に書かれた「ボナパルト」という題名とナポレオンへの献辞をペンでかき消した上に「シンフォニアエロイカ」と改題され、「ある英雄の思い出のために」と書き加えられているそうだ。先の逸話は話が誇張されている可能性が高いが、何れにしてもベートーヴェンがこの曲をナポレオンに献呈しようとしたものの、そうならなかったのは先ず間違いないであろう。

…だが、この逸話と似た事態が起きる可能性が出ている。…場所はヨーロッパではなく、アジアであるのだが。

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http://www.sankei.com/world/news/151111/wor1511110013-n1.html

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先日行われたミャンマーの総選挙、アウン・サン・スー・チー氏が率いる野党、国民民主連盟(NLD)の圧勝となる見通しである。 11日午前に発表された途中開票結果では、NLDは下院の開票済み149議席中134議席(89%)を獲得、上院も同様に33議席中29議席(87%)を獲得、となっている。軍政が創設した与党・連邦団結発展党(USDP)は既に敗北宣言、とお手上げ状態である。

半世紀以上「軍主導」で政治が行われてきたこの国で初の民主的な意味での本格的な政権交代が起こり、民主政治への大きな一歩を踏み出した事は評価するべきであろう。また下院(定数440議席)と上院(同224議席)の両方で議席獲得数が6割以上の比率となるので規定上、NLDが大統領と2人の副大統領の内一人を選出出来る事になる。

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ここに至るまでアウン・サン・スー・チー氏が民主化運動の先頭に立っていた事は間違いない事だ。その過程では本人も長期間自宅軟禁の憂き目に遭ったりと、苦難の歴史でもあった。それでもここまで事を成し遂げた事は評価されるべきだ。ここまでの彼女がミャンマー民主化の英雄」である事は疑いの余地はなかろう。
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…但し、である。

それでも彼女はミャンマーの大統領にはなれない。憲法で外国籍の家族がいる者は大統領になれない、と言う規定があるからだ。彼女の息子は英国籍故にコレに引っ掛かる。しかしそれでも彼女は外国メディアに

「次期大統領は何の権限もない」

「私が全てを決定する」

と明言。要は次期大統領は文字通りの「名ばかり」「傀儡」でしかないと宣言した。

更に次期大統領については

「自分に権限がなく、党の決定に従って行動することを十分に理解しなければならない」

と述べたと言うのだ。ミャンマー次期大統領はアウン・サン・スー・チー氏のイエスマンであれ、と言う事だ。それを承知で大統領になろう、なんて奴はいるのか?

ここまで来てそれはないだろう…!と言いたくもなる。

国家元首の大統領ではなく、自身への権力集中にこだわるその姿勢は、「独裁志向」とか「権威主義」や「違憲」等の批判を招いても不思議はない。日本にも似た様な事をしようとした政治家がいたが、アウン・サン・スー・チー氏はそういう悪例は学ばなかったのだろうか?

…と、言うより不肖筆者のひねくれた脳味噌にはこの発言を見て最初に思い浮かんだのが冒頭のベートーヴェンの逸話なのである。折角ここまで来たのだから彼女も最後の最後でそういうオチを作ることもあるまい。「歴史は繰り返す」とは言うものの、「繰り返す必要のない歴史」だってあるのである。それを見極めるのが「人間の器量」の一つではあるまいか?ミャンマーの人々が「自由と民主主義」の価値観を確立したいのであれば日本は手を差し伸べるだろうし、支援は惜しまない筈だ。

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…しかし厄介な事にこの国では議会の4分の1の議席は「軍人枠」である。更に国軍総司令官に国防相や内相の任命などの権限が付与されていたり、憲法改正などの重要案件には、この「軍人枠」があるお陰で国軍が実質的な拒否権を持つ。故にどうやっても軍を無視出来ず、逆に軍の発言権は保証されていると言えるだろう。結局軍の意向を無視した政策を行うのは困難、と言う事である。そこをどうするのか?ミャンマーの「これから」の鍵はそこにあると言えるだろう。