映画は映画、フィクションである。~モーツァルトとサリエリの共作、再発見される~

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※映画「アマデウス」ポスター


これを「世紀の発見」と思ってしまうのは映画のインパクトが強かったせいだろうか?

チェコモーツァルトサリエリの共作が発見された、と言う。…長らく行方不明になっていたとの事なので正確には「再発見」と言うべきなのだろうが…
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http://www.sankei.com/world/news/160214/wor1602140006-n1.html


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※映画「アマデウス」予告編

1984年の映画「アマデウス」ではモーツァルトの生涯をサリエリの回想と言う形で描いていた。この映画は世間におけるモーツァルトのイメージを大きく変えてしまったが、モーツァルトに関しては比較的歴史的事実に基づいて描写されている。しかしサリエリモーツァルトの才能に嫉妬し、最終的に毒殺するライバル、と言う役回りで登場するが、これは完全なフィクションである。
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※映画では悪役にされてしまったサリエリ。実際のサリエリは全然違う。

モーツァルトの死後、毒殺説が出たこと、犯人としてサリエリが疑われたのは事実である。実際のサリエリはあらぬ噂に心を痛め、「自分は無実だ」と弟子に訴えたが、その弟子に様子が不自然だと却って疑いを持たれてしまったそうだ。モーツァルトの書簡の中に「自分が出世できないのはサリエリの妨害のためだ」という記述がある事もそれに拍車をかけたのだろうが、実際にはモーツァルトの不遇は本人の素行の悪さが原因らしい。だがそれらは後世の人間から見たらウソだと判っていても「格好のネタ」に思えたのだろう。

映画の様に精神病で入院した晩年のサリエリが自ら告白した、という話もあるが実際にはサリエリが入院したのは精神病ではなく痛風の治療のためである。それどころか映画ではサリエリモーツァルトに「レクイエム」の作曲を依頼し、毒殺した上でその作品を自分の作品にしようと企む事になっている。随分酷い扱いにされているが、モーツァルトの遺作となった「レクイエム」は依頼人の貴族が自分の妻を追悼する為に依頼し、その葬儀の場でモーツァルトの「レクイエム」を自身の作品として発表する計画であったのは事実らしいが。

実際のサリエリは映画と違ってモーツァルトを高く評価し、ベートーヴェンシューベルト、リストと言った面々もサリエリの指導を受けている。困窮する音楽家を支援した事でも知られ、また先述したモーツァルトの「レクイエム」の初演の指揮を執ったのも実は彼である。映画のイメージは完全に払拭しなくてはいけないだろう。

チェコ国立博物館は16日に詳細を発表すると言う。さて、映画とは違うこの二人の作曲家の関係はどんなものであったのか?またどんな作品であるのか?歴史的にも芸術的にも興味深い。
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※映画「アマデウス」より。モーツァルトとコンスタンツェ。