日本人の美徳にそぐわなかった舛添要一辞任表明

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※漸く舛添要一が辞任表明。長かった…

漸く舛添要一が辞任を表明した。余りにも見苦しく醜悪な前日の延命嘆願があっただけに当然の事が「やっとか…」と言った感想になってしまうのもやむを得ないだろう。

その「引き際の見苦しさ」について産経新聞「阿比留瑠比の極言御免」は辛辣に評している。
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http://www.sankei.com/premium/news/160616/prm1606160004-n1.html

比較対象が菅直人、と言うだけで充分過ぎる程辛辣であるが、舛添要一に対する反発は菅直人のそれを上回っていたのではないだろうか?とも思える。

菅直人がブログで述べた事が新聞記事になる事がままある。所詮寝言程度の価値しかないが、それでも菅直人には一定数の支持者が未だに存在しているのがブログを見ると理解できる。何故菅直人をこの期に及んで支持できるのか?は不肖筆者には謎だが…

果たしてこの期に及んで未だに舛添要一を支持する人間はどれ程居るのだろうか?昨日の不肖筆者の記事で「舛添要一を批判する人々を批判する」記事を一つ紹介したが、その他の同様の論調の記事でも舛添要一のしていた事それ自体には概ね批判的であった。流石にアレでは弁護も出来まい。
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※その真理は時代が戦国から平成になろうが、変わらない。

「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」

記事でも紹介されている細川ガラシャの辞世の句。退く「時機」を知ってこそ「それ」足り得ると言うことか。時代が戦国から平成になろうが、肩書が「政治家」でも「東京都知事」でもガラシャの句が言う真実は同じであろう。それを見誤った姿は「哀れ」でしかないだろう。例えそれが事実でも

「公明党に裏切られた」

等と恨み言を言うのでは尚更見苦しいだけだ。

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※見苦しい恨み言。
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※醜悪な言い種。

「支持率が1%になっても辞めない」

と言った菅直人とは目糞鼻糞、五十歩百歩、同じ穴の狢なのだろうが…

ガラシャの辞世の句は日本人の美徳を端的に歌い上げていると言って良いだろう。…そして彼女の最期も…

それを善しとするかは個人の自由かも知れないが、そういう精神を持ち合わせていない人間が政治家をやると何故か醜悪で見苦しい姿を見かける事が多い気がするのは気のせいだろうか?舛添要一を推した自民党公明党に責任がない、とは言えないが、同種の人間を抱えたまま批判している民進党の姿はどうであろうか?記事の指摘通り、まずは民進党は己の垢をどうにかする事から始めた方が良さそうなのも間違いなかろう。やはり「古来から変わらぬ日本人の美徳」は政治家に必要な要素なのかも知れない。
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※日本人の美徳が体現される瞬間。

いずれにしても都知事選が行われる。何処まで「まとも」な候補を擁立出来るかが各党に問われる事になる。

※おまけ:舛添要一語録
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