本当にリベラルに必要な事を言わない津田大介

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※リベラルな思考は結構だが、本当にリベラルに必要な事を言っているのか?

ジャーナリストの津田大介がハフィトンポストのインタビューで

「ネット上の争いになると、リベラル(=左翼)は99%負ける」

として、その背景について語っていたのだが…
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http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/07/daisuke-tsuda-interview_n_12383414.html

彼自身もリベラルな思考の持ち主だと言えるが、ここでの発言を幾つか抜き出すと

「一言でいうと、保守の人のほうがマメ」

「リベラルな党の方がスマホ率やSNS利用率が低い」

「本来は「革新」であるにも関わらず、新しいものに対する好奇心が薄い」

「自分たちの理念を左でも右でもない一般の人に、わかりやすく説明する努力を放棄してきた」

「リベラルの側は、ある時期から最新の状況を追いかけなくなり、一般人に広める努力も怠ってきた。」

「機械の導入や、テクノロジー信仰に対する反発が、リベラル勢力の中に根付いている」

「日本の旧来型リベラル層は、ITを否定する人が多いように思います。」

「結局「人間が大事なんだ」となる。」

「未来技術に対する想像力の欠如が問題で、そうした知的怠慢はリベラル側に顕著」

「マスメディアの影響力が大きいことと無関係ではない」

「なんだかんだで日本のマスメディアは総じてリベラル」

「リベラルが既得権益化した」

「リベラルが「多様であることがいい」「多文化であることがいい」と訴えると、保守派の言っていることも「そういう言論もありだ」と認めなきゃいけないから。でも、保守派はリベラルの主張を認めないですから、その点がそもそも非対称なんです。それをわかった上で保守派と同じ土俵で真っ向から対決すると、今度は「リベラルの欺瞞」と責められる。対等な土俵が存在しないという意味で、よほどのことがない限り、ネット上の論争で勝つことは難しい。」

…等とリベラル思考の人間にとっては耳の痛い事も言っている。彼は「SEALDs」なる極左愚連隊を応援していた、と言うが、それでも

「安保法反対というワンイシューだから可能だった」

「左派系マスメディアが好意的に取り上げたということで「ゲタ」も履かされましたよね。」

「対案を出す形での運動ではなかったため、広がりに限界がありました。」

「彼ら若者を旗印にして協働しなければならなかった日本の左派市民運動の限界も示した」

等と、「見る所は見ている」と言えるだろう。少なくとも「公平かつ冷静に分析しよう」、と言う意思は感じられるのではないだろうか?
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※応援する価値は、ない。

だが、「保守VSリベラル」と言う論争において彼が述べた事以前の問題がリベラル側にあるが故に「リベラルは保守に勝てない」のではないだろうか?
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※先ずは違法行為を止めさせろ。

「保守の人のほうがマメ」と言うが、行動力では保守はリベラルに遠く及ばない。例えば沖縄県・高江でのヘリパッド建設反対運動では反対派の左翼連中は公道を封鎖し、検問紛いの真似までしでかしている。勿論「往来妨害」と言う犯罪行為そのものだが、保守はこんな事はしない。

「自らの主張の為には法律の規定さえも平気で無視する」と言うリベラルの実態がそこに在るのだが、こんな実態が目の当たりになればリベラルなど支持を失うだけだ。津田大介がこのインタビューでリベラル勢力に「保守と張り合える力を付けて打ち負かしてほしい」と言う思いで語っているのであれば、問答無用でこの様な行為を止めさせるのが最優先であろう。
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※違法行為を取り締まるのは非難する事ではない。

また、リベラル勢力の主張は言ってる側から論理破綻しているケースは多い。本人達は「対案」のつもりなのかも知れないが、実態はそれに値しないどころか「ブーメラン」「ダブルスタンダードは日常茶飯事で、突き詰めていけば「反対の為の反対」「批判の為の批判」でしかなくなる、なんて事は当たり前だ。これはスマホSNS利用率だとか、ITへの順応性とか、未来技術に対する想像力の欠如以前の問題であるのだが、それが理解出来る知性と考察する能力を口を開く前に身に付けさせるべきであろう。
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※違法行為を擁護するマスコミの罪も糾弾してから、事は始まる。

また、津田大介

なんだかんだで日本のマスメディアは総じてリベラル」

と、メディアが公平な報道をしていない事を認めている。新聞はともかく、法律で「公平・中立」が義務付けられているTVも勿論ここに含まれるのだろうが、そういう所を問題視しない、又は出来ない姿勢こそがリベラルの問題点なのだが…

「勝ち目のない戦いをどう戦うのか?」と言う問いに

「「こういう考え方が正しいんだよ」ということを地道に訴えていく他ない」

と、津田大介は言うが、必要な事はそれ以前である。それを認識してこの様に発言しているのであればそれはリベラルに対する欺瞞だし、認識していないのであればリベラル勢力はこの先駆逐されるだけの運命になるのではないか?「報道しない自由」、「意図的な編集」、「偏向報道」、メディアがそれらを総動員してかつ「野党共闘」までしても安倍首相が国政選挙で負けないどころか内容次第では憲法改正発議まで可能な状況になっている現状が「リベラルの限界」を如実に示している。リベラル勢力はあれこれ言う前に自分達の在り方そのものから見直さなければ将来はないであろう。

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※「愛国心」を身に付けてから出直せ。

尚、日本以外の国での「保守VSリベラル」と言う構図はどちらにせよ「自分達の国」に対する愛国心がその大前提である。自分達の国への愛国心すら持ち得ない連中に国政を語る資格は最初からない。リベラルはこの時点で「議論の土俵」にすら上がる資格はないのである。「リベラル」そのものは否定はしないが、自分達の国への愛国心すら持たない「日本のリベラル」など駆逐されて当然、議論の相手足り得ないのである。口を開く前に日本に対する愛国心を身に付けて出直してくるべきなのは言うまでもない。
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愛国心なきリベラルに向ける言葉。