安全保障は「備えあれば憂いなし」
※安倍首相の判断は正しかったのだ。
「もし安保法がなかったら」
「グアムを狙った発射が『明らかな失敗』で日本の領土領海に落下する事が確実視」
されなければ自衛隊は何ら手出しも出来ない。莫大な予算を使った装備を手にしながら「傍観」しているよりなかった。
安保法の審議時には、多くのマスコミやコメンテーターらが
「なぜ今なのか」
「どうして急ぐのか」
「議論が足りない」
《少しは自分たちの不明を恥じてはどうか。》
と言うがそれどころでは済まない。事ここに及んで尚その「過ち」を認識出来ないのであれば「確信犯」での「北朝鮮シンパ」と自白しているに等しいか、「単なる無知蒙昧」でしかない。そういう連中など
「口を開けば世間に有害な見解を撒き散らして世論を誤った方向に誘導する」
存在でしかない。
※勿論マスコミ共の事だ。
《座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨だとは考えられない》
「現時点で具体的な検討を行う予定はない」
と述べたが、検討すればマスコミ共はまた
「安倍首相はまた憲法9条を破壊しようとしている」
なんて言うのだろう。そして60年以上前にこの件では「結論が出ている」事には決して触れないのであろう。
だが、実際に今すぐ行わなくても、「そういう姿勢」を対外的に発信するだけで「牽制」にはなる。検討だけでも「行う価値はある」と言えまいか。
※「備えあれば憂いなし」それでも判らない?
《安全保障の要諦は、実は誰でも知っている。「備えあれば憂いなし」。この一言で足りるのである。》
正にその通りであり、付け加える事もないだろう。しかし現実にはこの単純な事さえ理解せずに偉そうにTVや新聞で妄言を吐く輩、と言うのが存在しているのである。その言論に価値はない、と言って良いがそれ以前にそういう理解がない限り「国家の安全保障」に関して口を開くべきではないし、その資格すらない、と言えるのである。
※日本が再び戦争に巻き込まれてからでは遅いのである。