人種差別騒動の思わぬ余波

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※騒動は未だに沈静化しない。

南北戦争時の軍人、ロバート・E・リーの銅像の撤去の是非が発端で始まった

「白人至上主義者VSリベラル派」

の騒動に関連してアメリカ各地で南軍兵士や将軍の銅像を撤去する動きが多発している。この件に関する一連の発言が批判の対象になったトランプ大統領
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※大筋ではその懸念は正しかった。

と、発言していたが、その懸念は

「大筋では正しかった」

と言えそうだ。

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※奴隷商人だった、と言う事は忘れてはならない。

ニューヨークにはコロンブス銅像があるのだと言う。ニューヨーク市長が
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※撤去すれば解決する訳ではないのだが…

と、した事でこのコロンブス像まで

「撤去すべきか」

と、議論の対象になっているのだと言う。
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※評価は様々。

アメリカ大陸を発見した」

と一般的には言われているコロンブスだが、それはあくまで「ヨーロッパ人からの視点」での話であり、当時既にアメリカ大陸ではインディアンが独自の文明を築いていた。そういう意味ではコロンブスが1492年に行った航海の結果、現在のバハマ諸島やキューバに到着したのは「記録にある限り初の『ヨーロッパ人とインディアンの遭遇』」と言う表現になる。またコロンブスは現地で略奪や虐殺行為等を行っていたのだから、彼等からすればコロンブス

「残虐な侵略者」

にしかならない。従って「アメリカ大陸を発見した」と言うより

「ヨーロッパとアメリカ大陸との間の『大西洋航路』を発見した」

とでも言うべきであろう。

そんなコロンブス、余り語られる事はないが、「奴隷商人」と言う一面もあった。それ故
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※どっちも正解ではある。

と、言う議論になっているのだと言う。
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※市民も賛否両論。
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※撤去の対象にはならないのか?

…こういう議論になっている事自体、トランプの懸念は的中した、と言える。トランプが引き合いにしたのはジョージ・ワシントンだが、

「当人の行いが『現在の感覚で言う人種差別』であれば非難の対象になるのか?」

と言う意味ではワシントンでもコロンブスでも話は一緒だ。「人種差別」があってはならないのは現在では常識であり、論を待たない事ではあるが、欧米人がかつてその「人種差別」を行い続けてきたのが「歴史」である。像を撤去したからと言ってその歴史を消し去る事も出来なければ「禊」にもならない。またコロンブス像を「コロンブスが先住民を虐殺した」事を理由に撤去するべき、と言うなら同じ理由でリンカーンの像も撤去しなくてはならない。リンカーンが歴代大統領の中でも最も過酷かつ残虐に先住民を弾圧したのも事実だ。一方で「奴隷解放宣言」で奴隷を解放したり、

「人民の、人民による、人民の為の政治」

と、民主主義の真髄を語った事もまた事実だが、それらが「先住民弾圧の免罪符になる」とでも言うのだろうか?「先住民の虐殺」と言う理由でコロンブス像を撤去するのであれば同じ理由でリンカーン像も撤去しないとそれもまた「差別」に繋がりかねない。
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※問題の解決にはならない措置。

…発端となったロバート・E・リーの銅像は黒い幕に覆わる事になった。だがこれは何の解決策にもならない。そもそも現在行っている

「過去の人物の行いを現在の感覚で断罪する」

行為そのものが「間違い」である事を先ずは認識すべきだ。そういう論法で行くならリンカーン以前のアメリカ大統領は全員奴隷制度を撤廃しなかったのだから少なくとも「奴隷制度を黙認していた」事になる。極端な言い方をすれば

アメリカは人種差別主義者が建国以来15代連続で大統領を務めた」

事になってしまうが、そう言えばアメリカ人は納得するのだろうか?

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※先ずは冷静になるべきでは?

それよりアメリカ人が本気で「人種差別をなくしたい」と考えているのであれば自分達の先人が「何をしてきたのか」「その結果どうなったのか」をキチンと教える事が必要ではないのだろうか?要は「自分達がしてきた『差別の歴史』と正面から向き合う」と言う事だ。起きてしまった事は後世の人間はどうする事も出来ない。しかし、その教訓から「同じ過ちを繰り返さない」事は出来る。それこそがこの国で「差別の犠牲になった」人々への弔いになるのではないだろうか?先ずは「頭を冷やす」事からだ。