「元少年」を死刑執行した意味

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19日に2人の死刑囚の刑が執行された。その内の一人、関光彦の執行が物議を醸している模様だ。
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関光彦は、1992年千葉県市川市で発生した会社役員一家四人殺害事件の犯人として裁判の結果、死刑が確定していたのだが、犯行当時未成年だった。少年法の規定によって18歳未満の者を死刑にする事は出来ないが、関光彦は犯行当時19歳。法的には18歳以上なら未成年でも犯行如何では死刑が宣告され、執行される事は有り得る。死刑執行の判断は法務大臣によるが、上川法相は

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と、会見で述べている。

「犯行当時未成年だった者」への死刑執行の先例はあるが、それでもやはり死刑廃止論者からは批判する声が上がっている。

毎日新聞によれば犯罪被害者問題に詳しい諸沢英道・元常磐大学学長は

「事件の動機や犯行手口の残虐性、社会に与えた影響、被害者感情を考慮すれば、今回の執行はやむを得ない。年齢だけで更生の可能性があると単純に捉えるのは間違い。今回の執行は評価できる」

と評価したが一方で日本弁護士連合会死刑廃止等実現本部事務局長の小川原優之弁護士(第二東京弁護士会)は

「少年は家庭環境や社会の影響を受けやすい一方で、成長によって変わりうる存在だ。少年時代に起こした事件の責任は、個人だけに問えるものではない。当時19歳の元少年への執行は望ましくない」

と、批判するコメントを出している。

ここで簡単におさらいしておくと、死刑判決を出す基準として「永山基準」と言われるものがある。


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この9点を総合的に判断して「死刑判決を出すか否か」を裁判官として判断を行う事になると言う。名前の由来になった永山則夫の事件もまた、未成年者による犯行だった。従って「犯行当時未成年だった」事は「死刑判決を免れる絶対的な理由」にはなり得ないのである。

毎日新聞にコメントを寄せた小川原優之弁護士は

少年時代に起こした事件の責任は、個人だけに問えるものではない。」

として、犯行当時未成年だった者への死刑判決、及び執行を批判しているが、そもそも「死刑判決が出る」と言う犯罪行為は

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と、なっている。いずれも一度発生してしまうと社会に大きな影響を与える凶悪犯罪のオンパレードだ。「犯人が未成年者だった」と、言う方が却って社会的影響を大きくしてしまう、と言うジレンマを抱えた犯罪行為ばかりである。しかもこれらの犯罪全てが「明確な犯意」を前提にしており、犯罪処罰対象となる14歳以上なら

「やってはいけない事」

と言う認識であるのは「当然」なのは論を待たないレベルの内容だ。「未成年」である事など理由にならないだろう。

また、19日に死刑執行された死刑囚はいずれも「再審請求中」だった事も批判の対象になっている模様だが、再審請求は「死刑執行回避の手段」ではない。その死刑判決を覆したり、判決の基になった証拠に合理的な疑問や明確な誤りがある、と言うなら話は別だが、そうでもないのに「死刑執行をさせない」為だけに確定判決に難癖を付けるが如く「再審請求」を乱発するのでは「それは違う」と言う事になる。それだけの「証拠」はあるのだろうか?

最高裁の決定は重く、おかしな判決には我々国民が声をあげるよりない。その為にも国民一人一人が特に重要な案件を扱う際、関心を持たなくてはならないのである。