行きすぎた「権利の主張」はエゴイズム


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※行きすぎた権利の主張はエゴでしかない場合もある。

「行きすぎた権利の主張」は時として「エゴイズム」と化す事もあるが、この件はまさしく「そういうケース」であると言えるだろう。

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日本は「二重国籍」を認めていない国だがこの度、欧州在住の日本人2名が、「将来外国籍を取得しても日本国籍の維持」を、6名の「元」日本人が「外国籍になっているにも関わらず『日本国籍の存在の確認』」を求めて日本政府を相手に訴訟を起こすのだと言う。

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※国籍法の「国籍の喪失」に関する規定

連中に言わせれば「二重国籍」を認めない国籍法の規定は「徴兵制があった旧憲法下の思想を受け継いだもの」でしかなく、グローバル化した現在の状況に適合していないらしく、また憲法13条の「国民の幸福追求権」や22条2項が保障する「国籍離脱の自由」に基づき

「国民は日本国籍を離脱するか自由に決めることができ、外国籍を取っても、日本国籍を持つ権利が保障されている」

と言う事らしい。

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実にバカげた話でしかない。蓮舫二重国籍問題で明らかになった様に二重国籍者の存在は国家の安全保障上の問題とリンクする。個人の権利云々より1億3千万人の国民の居る「国家」の安全保障の方が重要なのは論を待たない。仮に連中の言う「権利」があるとしても憲法の言う「公共の福祉」で制限されても仕方のない話であると言えるだろう。

またこの訴訟を起こすと言う8人中6人は既に他国に帰化している様だが、その「外国籍取得」は自らの意思だったのだろうか?帰化それ自体が当時の日本政府のせいで「本人の意思に基づかない」ものであったならまだしも、「自身の意思で外国籍を取得」したのであればそれでいて後からそういう主張をするのはおかしい。そもそも憲法は日本人として生まれた人に一生「日本国憲法が保障する権利」を保障するとは規定していない。日本に限らずその国の国籍を離脱する以上、その国の憲法が保障する権利や法の適用から除外されるのは当然だ。憲法が保障しているのは「本人の自由意思を前提に日本国籍を離脱する選択」の権利であってそれは「二重国籍の容認」には繋がらない。

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憲法22条。

この様な訳の判らぬ主張が可能になる根本の原因は

「国籍法が法の趣旨として『単一国籍』を要求しているにも関わらず『二重国籍は違法だが処罰規定がない』」

と言う「法の欠陥」にある。二重国籍を容認するか否かは国家の判断する事項であり、国家主権の範疇だ。それを個人の権利で覆す、と言う発想自体に無理があるのではないか?「人権」を主張するのは結構、国家としてもそれを保障するのは当然だが、この件はその範疇を越えている。裁判では「棄却」と言うまっとうな判断が示されるものと思いたいが阿呆な裁判官がこんな主張を認めてしまうと司法によって国家の安全が脅かされる結果になる。記事を書いた朝日新聞からすればそうなる事を期待したいのだろうがこういうバカげた主張を朝日新聞が取り上げる以上、

「それは日本にとって『あってはならない事』」

の裏返しである。裁判所の賢明な判断を期待したい。