独裁者への道を歩む習近平

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※目指すは独裁者。

安倍首相を「独裁的」と非難する諸君は余りにも物を知らなさ過ぎる、と言えるだろう。真に「独裁者」を志向しているのはこの男である。
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支那国家主席一覧。

この度支那憲法改正の提案があり、現在「2期10年」までとなっている「国家主席」の任期に関する規定を撤廃するつもりらしい。

支那での「国家主席」は毛沢東らが務めたが文化大革命やその後の権力闘争と言った経緯もあり1975年に一旦廃止された。その後鄧小平が実権を握った1982年に復活したがその際「2期10年」と言う上限規定が設けられた。言うまでもなく「権力の集中の弊害」を防ぐ為であるが、敢えてそれを撤廃しよう、と言うのは「習近平1強」体制の構築と維持がその狙いである事は明白だ。

習近平はこれまで「反腐敗闘争」と称する「腐敗行為の摘発」に力を重点的に注いできた。腐敗を放置すると「党も国家も滅びる」と自浄作用の発揮を訴え、その姿勢は確かに支那人民の支持も得たが、それと同時に政敵を追い落とすための強力な「武器」として機能した事の方が習近平にとっては意味は大きかった様だ。習近平体制2期目を始動させる第19回共産党大会の開幕1ヶ月前の段階で時事通信によれば規律違反で摘発された局長級幹部は1225人、課長級幹部は8684人だと言う。更に支那共産党機関紙・人民日報によれば、何らかの処分を受けた党員は何と119万人にも上る、と言うのだからここまで派手に「粛清の嵐」が吹き続ければ習近平に諫言出来る様な人物などそうそう出て来なくなる。「執行部はイエスマンばかり」と言うのは必然の流れ、と言えるだろう。

それこそがある意味では「習近平1期目の最大の成果」と言えそうだが、「安倍首相は独裁者」と、非難する諸君、安倍首相のどんな行為が習近平の行った行為に準えられると言うのだろうか?是非とも明確な回答を教えて貰いたいものだ。

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習近平が権力の座に居続ける事で待っているのは「地獄」。

共産主義と言うのはこの様に一人の独裁者の為に多数の人間が犠牲になるのが現実だ。理想通りには決してならないのはかつてのソ連や現在の北朝鮮を見れば明白だ。習近平も同じ徹を踏む事になるのだろう。習近平が権力の座に居続ける事で人々は習近平の歓心を買うため密告でも何でも手段を選ばず自身にとっての邪魔物を「不平分子」として陥れる様になる。そして今日誰かを陥れれば「明日は我が身」と怯えて生きる。社会からは「信用」と言う概念は消え失せ、言いたい事も言えずに社会に閉塞感が蔓延する。習近平は最高権力者として君臨し続けて満足でもその他の13億人は確実に不幸になる。そんな社会の何処に意味があるのだろうか?

「安倍首相を支持出来ない」と言うのは個人の自由だが、だからと言って共産党などを支持しても待っているのはこういう社会だ。習近平の独裁体制の構築を目の当たりにしてその意味が判らないのであれば政治について口出しする意味はない。日本の共産党でも志位和夫は2000年から委員長であり続けている。しかもその間、共産党員の選挙で選ばれ続けた訳ではない。「共産主義に独裁者がセット」なのは日本も例外ではないのだ。だからこそ習近平の独裁体制構築のは最大級の警戒が必要なのであり、日本の共産党は潰滅させなくてはならないのである。

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※日本に害しかもたらさない存在の共産党