時事通信の印象操作


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森友学園騒動に巻き込まれてしまった形、と言える安倍昭恵氏だが、17日に障害者福祉のイベントに出席していた様だ。そこで、

「私も過去を後悔したり反省したりするけど、あまり先に起こることを心配したり恐れたりせず、日々やらなきゃいけない瞬間瞬間を大切にしたい」

と、述べたのだと言う。

将来起こりうる事象を予測して良くない事なら事前にそれを回避する努力をする事も重要ではあるが、同時に自身の目の前に今ある事を一生懸命こなす事もまた重要だ。発言の場が障害者福祉のイベント、と言う事を考えれば

「健常者には理解しにくいハンデを背負っていても目の前の自分が出来る事をこなしていく事で道は開ける」

と、言う意味なのであろうとも解釈出来よう。ところが、マスコミの「偏向フィルター」にかかると障害者を励ます為にしたであろう昭恵氏のこの発言はこうなってしまう。

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昭恵氏だって人間なのだから時として「失敗」「後悔」と言うのはあっても何ら不思議はない。例えば産経新聞が報じた昭恵氏と籠池泰典夫人とのメールのやり取り、文面を読む限り平成28年6月4日の時点で籠池夫人からのメールを昭恵氏は誰からのメールなのか、当初認識出来ていなかった。原因はそれ以前に携帯を水没させてしまってデータが一部飛んでしまった為、と本人が述べている。こういう事だって「失敗」と言えるし、携帯水没、なんて事態を招いてしまった自分の行動を「反省」していたってそれは「自然な成り行き」であろう。時事通信、どうしてここでの昭恵夫人の言う

「過去を後悔したり反省したり…」

が「森友学園の件が念頭にある」と言えるのだろうか?TBSによればこのイベント終了後、昭恵夫人は取材に応じる事なく会場を後にしたと言う。少なくとも本人から発言の真意を聞いた訳ではない事だけは確かであろう。また、昭恵氏は森友関連で言及した発言もないのだから所詮は時事通信の推測でしかない。と、言うかわざわざ出席したイベントには関係ない森友関連のネタを絡ませ、「言及しなかった」と言う事、そして無関係の福山哲郎


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と、言うコメントを最後に載せる事で

昭恵夫人は疚しい事があるから森友関連に言及しなかった」

と言う印象を与える記事の書き方をしている。「悪質な印象操作の一環」と言えるだろう。

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あくまで昭恵夫人が「森友学園の土地取引に関与していた」と言うのであれば「明確な証拠」を添えるのが「報道機関としての責任」である。「開校予定の小学校の『名誉校長』だった」と言うだけでは根拠、とは言えない。「森友学園に100万円寄付した」や「良い話だから前に進めてください」発言だって

籠池泰典がそう主張している」

と言うだけで籠池泰典自身がそれを立証出来ていない。それを「証拠」と言えるか?

確実に「関わった」と言えそうなのは名誉校長就任や、森友学園での講演、そして

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と言う、予定地を視察した際の

「いい田んぼができそうですね」

と言う発言が「瑞穂の国」と言うネーミングの由来になった事であろう。それらの何が「違法行為」だと言うのだろうか?それを明確にしないで「昭恵夫人の関与」ばかり騒ぎ立てるメディアは全て「無責任報道」を行っている、と言える。マスコミ諸君こそ

「過去を後悔したり反省したり」

してはどうか?

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籠池泰典昭恵夫人を通して交渉を有利に持ち込もうと目論んだが、上記の写真の文面にある通りそれは「失敗」に終わっている。百歩譲ってこの時昭恵夫人付きだった谷査恵子氏が「昭恵氏の意向」をチラ付かせて問い合わせた、と果てしなく都合の良い解釈をした所で結果は「ゼロ回答」だったのだから

「最初から関与していなかった」

か、

「『首相夫人』と言うネームバリューの威力はその程度でしかなかった」

かのどちらかであろう。後者ならその程度の「首相夫人のご威光」を殊更に追及する必要などないし、前者なら尚更国会に呼ぶ意味がない。マスコミ諸君はその意味を考えるべきである。