ゴミカス国賊野党に配慮はいらない



国会では本日の理事会で「働き方改革関連法案」の衆議院での採決を明後日に先送りし、明日、厚生労働委員会で質疑を行う、と言う事になったらしい。


実に不可解な対応である。委員会では既に採決されているのだから委員会で再審議するのはどう考えてもおかしい。国賊野党共の「審議が足りない」と言う声に配慮した、と言うならその対応こそ間違いである。勝手に審議拒否して19日もGWを堪能していたのは国賊野党の方だ。ここで国賊野党共の言い分を認める、と言うのはそういう我儘勝手を与党が追認するに等しい。だから国賊野党共は「図に乗る」のである。

働き方改革関連法案の骨子

この件に限らず、幾ら与党が国賊野党共に「配慮」したところで連中はそれを「当然」としか考えない。一度通った我儘は「先例」となるだけでしかない。それどころか「更なる上手」を繰り出してそれを押し通す事を狙うだろう。こんな事の繰り返しでは国会は国賊野党共の「やりたい放題」になる。ここは毅然として与党は国賊野党共の要求を却下し、

国賊野党共の戦略」

が無意味なものだと思い知らせるべきだったのだ。


国賊野党共が勝手に審議拒否した結果、首相や閣僚はこの様に国会で無意味に時間を無駄にする事になる。この様にして国民の払った税金を無駄にしてそれらの責任は何も取らない。それでも要求には配慮する、と言う与党の姿勢こそが国賊野党の傲慢不遜、我儘勝手を助長しているのだ。与党は国賊野党の精神年齢を自分達と同等、と考えてはならない。連中の精神年齢は幼稚園児並みでしかない。子供を甘やかす事も時として必要だろうが、厳しく躾るべき事は厳しく躾る。何処の親でもやっている事をしなければ「そのツケ」は自分達が払う事になるのだ。

そういう意味では国賊野党の好き勝手の原因の一端は与党にもある、と言えるだろう。健全な国会にならないのは国賊野党がゴミカスそのものなのが原因だが、「ゴミカス国賊野党」を国会に送ってしまう有権者、また連中への「無意味な配慮」で甘やかす与党、今一度「国賊野党の存在意義」について考えるべきである。少数意見を無視しろ、とは言わない。少数意見への配慮は必要でも「ゴミカス国賊野党」はそのレベルにも達していないのだ。理解が必要なのはその点である。