麻生発言の真実とその意味

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「麻生節」炸裂である。

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麻生副総理は24日の新潟県での講演で

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と、発言。これにメディアが過剰に反応している。

メディアとしてはこの発言を「失言」と言う扱いにでもして麻生副総理に責任を取らせる、つまり辞任にでも追い込みたいのだろうが、如何なる新聞記事であっても文字だけでは発言のニュアンス、と言うものは伝わらない。

実際の発言のシーンを動画で見ると、麻生副総理のこの発言を受けて聴衆から笑い声が上がっているのがハッキリと判る。取材していた記者はともかく、一般聴衆の大半が麻生副総理のこの発言を「ジョーク」と受け取った、と判断出来るだろう。「政権批判ばかりのメディアへの不満」だけとは言い切れない。

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新聞記事は信用出来る、と思っている人は多いのかも知れないが、朝日新聞東京新聞日刊ゲンダイの様に「安倍政権批判」に果てしなく偏向している「糞メディア」も確実に存在している。安倍政権の政策に悉く反対、と言うのも「思想信条の自由」だし、そういう前提で記事を書くのも「表現の自由」の範疇に収める事は出来る。だが、その為に「事実を歪曲する」とか国民の「知る権利」を妨害してまで「報道しない自由」を振りかざすのは方法論としては「間違っている」と言えるだろう。メディアは常に自らを

「権力の監視役」

と自認しているが、現実にはそういうメディアの方が「権力側より腐っている」のである。メディアの「権力の監視」と言う役割は否定しないが、

「監視する側がされる側より腐っているのでは意味がない」

のであって、そういう意味でメディアは自らが言う「自らの存在意義を量る土俵に上がれていない」のである。

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麻生副総理の発言は上記の様な認識が前提だが、それは間違ってはいない。若い世代は新聞は読まなくてもネットで必要な情報は得ている。新聞やTVだけが「ニュースの情報源」と言う時代ではないのだが、新聞やTVは未だに「自分達だけがニュースの情報源」とでも思っているのだろう。だとしたらそれは既に時代遅れの感覚である。新たな時代に適応出来ていないと自白しているに等しい妄言妄動である。

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だからこそ新聞やTVは「ネットにはフェイクニュースが多い」と批判するが、偏向報道で真実を歪め、自身がフェイクニュースの発信源となっている事、メディアが自分達の報道にまともな責任を取らない事を多くの若者は知っている。だからメディアを信用しないのだ。メディア自身が若者に信用される報道姿勢を見いだすべきなのだが、それが出来ていない。それこそが若者がメディアを信用せず、ネットで情報を得る最大の理由である。変わるべきはメディアである。