「冤罪のケジメ」はどうする?


※その憤りは良く判る。

親族女性に対する強姦罪に問われ、有罪が確定し、服役していたものの、後に女性が

「証言は虚偽だった」

と自白して冤罪が明らかになった男性が国と大阪府、そして検察や裁判所も含めて国家賠償を求めた裁判、注目された判決は


※原告の訴えにまともに向き合っていない。

として、
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不当判決そのもの。

と言う「冤罪のケジメ」としては異例とも言える判決となった。

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この事件、2008年に男性が同居していた未成年の親族女性に性的暴行を加えた、として強姦罪などで起訴された。男性は一貫して容疑を否認したものの、当の女性の証言や目撃者である女性の兄の証言を理由に懲役12年の実刑判決を言い渡し、2011年に最高裁で有罪が確定、服役していた。

だが、後になってこの女性は

「証言は虚偽だった」

と告白し、また事件発生直後にこの女性が医師の診察を受けた際の

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※コレが冤罪の決定的証拠になった。

と言う決定的とも言える冤罪の証拠によって再審の結果、男性は2015年に無罪が確定した。

男性は自身の冤罪の責任を求めて裁判を起こしたが、上記の通り、大阪地裁は原告の訴えを全て退けた訳だ。

…通常の感覚からすれば警察にしろ、検察にしろ、意図的に「無実の人間を罪に陥れる」為に捜査をしている訳ではないだろうし、裁判官だって「有罪ありき」で刑事裁判を行う訳ではなかろう。だが、この事件を取り上げた元検事の前田恒彦氏の記事によると、この判決は「おかしい」としか思えない。

被害証言や目撃証言が「虚偽」と言う裏付けは事件発生直後に女性が医師の診察を受けた際のカルテに

「性的暴行の痕跡がない」

と明記されていた事だった。そして「事件発生直後に女性が医師の診察を受けていた」事実は操作段階での供述調書にも記載されていた、と言うのだ。つまり検察はその診察結果を知り得る立場だった。実際に高裁での公判で弁護側がその診療記録の公判提出を求めたものの、何故か公判に反映される事はなかった。被害の有無や程度を知り得る一番の客観的証拠だったのにも関わらず、である。医師のカルテより未成年2名の証言を重要視して判決を出した、と言う意味だ。しかも大阪高裁は何故かこの件に関する女性の再尋問も認めなかった。「推定無罪の原則」「疑わしきは被告人の利益」は刑事裁判の大前提の筈だが、大阪高裁でそうだったとは到底思えない。

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※今にして思えば裁判所も検察も「その愚」を侵したとしか思えない。

それどころか取り調べをした検事は

「絶対許さない」

と言い放ち、男性の話を聞こうともしなかったと言う。また大阪地裁の判決で有罪、と判断した理由は

「14歳だった女性がありもしない被害をでっちあげて告訴するとは考えにくい」

と言う「決め付け」だった。

人間である以上、間違いを100%回避する事は出来ない。検察官や裁判官だって例外ではないので

「冤罪を100%未然に防ぐ」

事は難しい。だが、検察官や裁判官も人間である以上、「冤罪が発生した」以上、「人為的な間違い」が何処かで発生していた事は否定出来ない事であろう。

真っ先に責任を問えそうなのはでっち上げの証言をした女性とその兄だろう。刑事的にもこの2人の行為は「虚偽告訴」「偽証」と言う犯罪行為だが、男性の無罪が確定した時点で「虚偽告訴」は時効、「偽証」も時効寸前でこの2人は刑事責任を負わなかった。

男性は

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※外形的には「事実」

と、主張したが、裁判所はその主張を退けた。つまり人一人冤罪にしておいて

「誰一人責任を取らない」

と宣言したに等しい。男性が

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※正にその通り。

と、憤り、男性の弁護士が

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※もっと言ってやれ。

と、批判するのも前田氏の記事を読めば当然であろう。

この件では最初の裁判が最高裁まで行っているので、「冤罪に対する裁判所の責任」を認めてしまうと一気に最高裁まで責任は及ぶ。地裁としてはそれを憚ったのかも知れないが、冤罪によって様々な物を失くした男性の人権はどうなる?冤罪の人の名誉や権利の回復より最高裁の権威の方が大事だとでも言うのか?これでは司法に対する国民の信頼は失われるだけだ。裁判所にその自覚はあるのだろうか?

本来は「あってはならない」事だが、冤罪が発生してしまった場合、その冤罪に対する「責任の所在」は明らかにして、被害者に謝罪すべきではないのだろうか?男性は冤罪で服役させられていた分の刑事補償は受けている、との事だが、そもそも「ゼニカネ」の話ではない。冤罪の被害者の事を真に思うのであれば「冤罪に対する責任の所在の明確化」と「関係者の処罰」は必須であろう。日頃人権に五月蝿い人権派からの声は何故か聞こえないが、あの様な偽善者はさておき、裁判所や検察には「冤罪に対するケジメ」について真剣に考えて貰いたいものである。