親しき仲にも礼儀あり

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産経新聞の記事には考えさせられる内容の記事が多い。筆者にはそうだ。今回考えさせられた記事の内容は以下の通りである。

アメリカの首都ワシントンにある国立大聖堂。ここは歴代大統領の国葬や要人の追悼が行われる場所であり、大統領や閣僚も多く足を運ぶ。その国立大聖堂にロバート・E・リーとストーンウォール・ジャクソンと言う二人の人物が祀られているそうだ。
先日亡くなったネルソン・マンデラ氏の追悼が行われた際、この二人がこの場所に祀られている事実が物議を醸したと言う。

リーとジャクソンは南北戦争時の南軍の軍人で、リーは最高司令官、ジャクソンはその右腕と言われた人物である。

マンデラ氏が人種差別と闘い続けた英雄であるのは論を待たないが、その追悼の場に奴隷制度保持(つまり人種差別)の為戦った人物が祀られているのは怪しからんのではないか?と言う主張である。

当の大聖堂は「死者の霊は生前の行いで責められる事はない。」と問題視していないと言うのだが…?
記事にはなかったが、アメリカではリーの名前はその後学校や戦車に使われ、「ストーンウォール・ジャクソン」と言う名前の軍艦も3隻あったと言う。アメリカは自国の人物にはそう考えるのに何故靖国神社に祀られている英霊(特にA級戦犯にされた14人)には同じ様に考えられないのか?アメリカ人はよくて日本人はダメと言うのは矛盾している。ダブルスタンダードだと言っているのである。

リーやジャクソンにしろ、A級戦犯にしろ、アメリカ合衆国の敵として戦い、敗れた点は共通している。アメリカが靖国神社参拝を批判するなら何故リーやジャクソンは生前の行いは咎めず日本人には霊となっても生前の行いを咎めるのか?明確な理由付けが必要だ。説明出来ないならそれこそ差別である。

アメリカは現在では同盟国であり、よき友人足り得る国であるのに変わりない。支那や韓国と比べるのはアメリカに失礼だろう。しかし「親しき仲にも礼儀あり」。アメリカと言えども踏み越えてはならないラインがある。靖国神社参拝はまさにそれである。アメリカ人は自分達がリーやジャクソンに対する態度と日本の首相が靖国神社に参拝するのは同質の行為だと理解するべきだ。

…リーやジャクソンについて触れておくとリーは本心では奴隷制度に反対で、出身地が南軍側だったため南軍側についた。ジャクソンは当時違法だった「奴隷への読み書き」を教えている。この様に「南軍側だったから奴隷制度保持賛成」ではないのである。

大東亜戦争も「アジア諸国の欧米諸国からの解放」という大義名分があり、それを実行した。その事実から一概に「侵略戦争」と決め付けるのは視野の狭い見方なのではないだろうか?

アメリカ人がリーやジャクソンの本音をどこまで知っているかは解らないが、知っているなら日本にも同様の視点で見る度量は必要だ。