ディスカウント・ジャパン

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アメリバージニア州で「日本海」とその韓国側の名称「東海」を併記する事を義務付ける法案が州議会上院委員会で可決されたと言う。

韓国が異常に執着する「日本海呼称問題」だが、見れば見るほどこの国の異常性が明らかになる。

バージニア州は韓国系住民が多いと言う。故に米国内で蠢くロビー集団が議員に毒饅頭を喰らわせて反日やらせるにはうってつけの場所であったのだろう。

日本海呼称問題」の始まりは1992年。それまで何ら異議を韓国が言う事はなかった。故に動機は反日活動の一環と断言してよい。日本海を韓国側が「東海」と呼んでいるのは自由だがそれはあくまで韓国内での話であって異議を言い出した1992年の時点で「日本海」は唯一の国際呼称であったのは紛れもない事実である。

韓国の狙いは単純に国際呼称に「日本」の名が付いているのが気に入らないので消し去りたい、と言う点に集約されるだろう。韓国の主張では「国際呼称に特定国の名が付いているのは不適切」と言うが、ではインド洋は?東シナ海は?南シナ海は?ペルシャ湾は?何故日本海だけなのか、主張に根拠はない。

それでも裏付けが欲しかったのか、西欧諸国の古地図を調べてどの名称が使われていたか調査もしている。確かに「東海」やら「朝鮮海」とした古地図もある。しかし当然「日本海」とした古地図もそれ以上に存在し、年代が経つにつれ「日本海」の名が浸透していった事実が明らかになっただけである。

因みに日本も韓国側と同一個所で同様の調査をしている。結果は韓国側が自国に有利になるようサンプル史料の数を減らしていたりと韓国側の杜撰な調査の実態が明確になっただけである。

ついでに言うと第二次大戦後GHQが作った地図の「日本海」の表記を参考書に使う際に「日本海」の部分を「東海」に改竄する暴挙までしている。異常な行動ではあるが。

また韓国側は「日本海」の呼称が浸透したのは明治以降の日本の帝国主義、そして日韓併合による支配の為「東海」の呼称が消されたと吹聴する。例えばこのブログの写真は1852年の英国の古地図だが、呼称は「日本海」である。1852年と言うと明治維新はおろか開国直前である。「日本海」の呼称自体日本人というより寧ろ西欧人が勝手にそう使うようになったと考えられる。

歴史を紐解いて見ると何故そうなったかは明白だ。

…江戸時代、日本も朝鮮も鎖国状態であった。そこへ通商目的で欧米人がやって来たのは時代的にそう大差ない。(日本の方がやや開国は早かった)しかしその対処方法が日本と李氏朝鮮では雲泥の差があり、その差がその後の明暗を分けたと言っても過言ではない。

日本の場合は黒船以降明治維新に至るまでの幕末史が示す通り攘夷の不可を悟り積極的に西欧技術や知識を導入した。

一方李氏朝鮮では欧米諸国の通商要求を拒否→撃退と対応して鎖国状態を維持しようとした。李氏朝鮮を開国させたのは1876年の日本の砲艦外交によってである。
その間に日本はまだ未熟ながらも国際法の知識等も習得している。例えば領土取得のルール等だ。

…明治初期に小笠原諸島は日本領土に正式に編入されたが、江戸時代では日本領土とは国際的に認識されておらず、米英が領有を目論んだ事もあった。明治政府がそれを阻止した訳だが、それに成功したのは国際法をしっかり学んでいたからである。対する李氏朝鮮は日本程国際法を学ぶ等しなかった為、国際化の流れに乗れず終いだったのだ。

対して国際化に適応出来た日本は日清・日露戦争の勝利を経て列強の一角になり、西欧諸国に肩を並べる無視できない存在になったのだ。

…余談ながら尖閣諸島も同様で国際法に基づいた領土取得である。当時の支那にしろ李氏朝鮮にしろ国際法に基づいた対応をしなかった為、西欧諸国から認められる事はなかった。

つまり尖閣諸島問題も、日本海呼称問題も、19世紀に国際化し損ねた連中の「負け犬の遠吠えの亡霊」と言うのが実態である。自らの歴史上の選択ミスを認めず責任を日本に転嫁し、それを当然の如く吹聴するのが異常なのである。