捕鯨反対の偽善

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米国の駐日大使であるキャロライン・ケネディTwitterで日本のイルカ漁を非難して波紋が広がっている。

イルカもクジラの一種であるから、要は捕鯨の一環と見做されて反捕鯨国の非難の対象になっている訳だ。

クジラ(イルカも含む)を食べるのは何故いけないのだろうか?日本人は昔から鯨を食べていたのは間違いない。いや、世界中でクジラは食べられていたのも間違いない。別段日本だけではない。また、捕鯨をしているのは日本だけではない。日本の調査捕鯨は国際的に認められた範囲内で行っている筈だ。しかしそれすらシー・シェパードの妨害に合う。

キャロライン・ケネディに限らず欧米人が捕鯨を非難する理由が日本人には理解不能なのだろうか?その理由を探してみると例えば絶滅の恐れがあるだとか、クジラは頭がいいからだとか、牛や馬より人間で近いからだとかが理由としてよく挙がっている。

個体数の減少が事実ならまだ判るが、日本が調査捕鯨で捕獲・流通しているミンククジラは日本の調査捕鯨で減る数以上に増えていると言う。絶滅の恐れがあるというならクロマグロの方が遥かに優先順位が上の筈だ。

クジラやイルカに高い知能があると言うのも事実らしい。どうやらイルカ語のようなものが存在して、イルカ同士の会話が出来ると言う。またクジラの唄のようなものの存在も言われているから学術的な観点からは判るが頭のいい動物は食べてはダメで頭の悪い動物は食べていいのか?その基準は何なのか?納得いく説明を筆者は聞いた事がない。

更に牛や豚、鳥より人間に近いからだと言うのはどうなのか?哺乳類でない鳥は論外だが、クジラは最近分類学上実は偶蹄目になると言う。寧ろ牛やカバに近い生物、となる。人間に近い生物は食べるべきでない、と言う論拠も不明だが、人間に近い生物という意味ではクジラも牛も大差ない。牛を食べてクジラを食べるべきでないと言うのは壮大な矛盾になる。

クジラを食べるのはいけないが、家畜を食べるのは構わないと言うのは西洋の人間中心の価値観に過ぎない。家畜は人間が管理しているから生殺与奪の権利は人間にあり、家畜自身には何の権利もないと言ったところか。

そういう考え方を具現化した物に「ジュラシック・パーク」があると言える。
ジュラシック・パーク」(小説)ではパークのアイデアを出したハモンドは「人間が管理をきちんとしていれば恐竜でも何でも収まるべき所に収まる。」という考えでパークを具現化させる。勿論作中ではそうならなかったが、そんなハモンドを非難する言葉も含蓄あるものだった。「朝食にスクランブルエッグとベーコンを食べるのが当然と考える様なもの。」とね。
アメリカはそこに気付かない限り同じ過ちを繰り返す。人間は自然と共存共栄は出来るが、完全に支配は出来ないのだ。

…そもそもアメリカが日本に通商を求めた理由は自国の捕鯨船が太平洋の反対側で補給出来る様にするためだった。
また捕鯨が非人道的だと言うなら百年前に10億羽いたリョコウバトを絶滅させた所業は非人道的ではないのか?他国の捕鯨を非難する前に己の所業を反省すべきだ。

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