変わる歴史変わらない歴史

…筆者がまだ学生だった二十数年前、歴史の教科書は以下の記載があり、その他の書籍でも概ね同様であった。

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源頼朝

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足利尊氏

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武田信玄

しかし現在では研究の結果これらの肖像画の人物は悉く別人であるとされ、教科書に掲載される事もなくなった。

何故そういう結論になったのか?では肖像画の人物は誰なのか?と疑問が当然出てくるが今回のテーマではないのでそれは割愛させて頂く。

筆者が今回言いたいのは「現在当たり前に受け止められている歴史認識も新たな発見や研究で一夜の内に明解な誤説となりうる。」という事だ。肖像画の人物に限らず歴史認識においても同様だ。

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これは長篠合戦の屏風絵だが、この戦いは筆者の学生時代には「織田信長は三千挺の鉄砲と画期的な三段撃ちを用いて武田勝頼を打ち破った」と教科書にはあったと記憶しているが、実際には信長が用意した鉄砲は千挺だったし、三段撃ちなどはなかったと言うのが最近の見解である。

信長と言えば桶狭間の戦いでも従来は敵の本陣を迂回しての奇襲攻撃が現在は正面からの攻撃になっているし、悪名高い比叡山焼き討ちも全山派手に焼き討ちしたのではなく、やってないか、やっていても限定的なものに過ぎないとする説が有力だと言う。

何故そうなるのか?理由はいろいろあるだろう。根拠にした史料の信頼性だったり、新発見の史料による物だったり、従来の史料の見落としだったり…

いずれにしても誤りは誤りと認めて修正されるべきであり、そうでなければ我々は正しい歴史知識や認識を理解は出来ない。

…の筈だが何故か大東亜戦争前後の歴史は例外扱いの如く修正されない。否、修正しようとする行為自体がタブー視されついる向きすらある。一体何故だろうか?差別的扱いを受ける謂われは皆無の筈だが…?

http://goo.gl/WF15t

このリンクは筆者のブログでも度々登場しているが、米軍が日本軍慰安婦の聞き取り調査をしたレポートであり、米国の公文書として保存されていたものである。一読して明らかなのは大東亜戦争時の慰安婦は「性奴隷」ではなかったと言う事実だ。レポートから読み取れる慰安婦の言動は「性奴隷」では出来ない事であるのは間違いない。

また昨年夏に見つかった朝鮮人慰安所経営者の日記も同様だ。記事を出したのは毎日新聞だが、見る限り「性奴隷」とは到底結び付かない慰安婦の実態が浮かび上がっているにも関わらず「慰安婦は性奴隷」と言う認識は変わらない。何故だろうか?また慰安婦は日本軍独自のシステムではなくこの時代各国にあったのは記録上明らかなのに日本だけが問題にされる。強制的に行った事実がないどころか新聞の募集広告があるのに、である。

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また南京大虐殺も記録を見る限り日本軍の南京占領前後で人口は増加している。大虐殺があったならその分を含めて大量の人口移動があった事になるが(その数35万人)全く考慮されない。

…更に不思議な事にNHK籾井会長の会見や百田尚樹氏の応援演説の様にそれなりに根拠があって発言しているのに「問題発言」と非難される。反論するなら当然それなりの根拠が必要だが一切ない。

では聞くが、慰安婦が強制的に徴用された証拠は?日本軍独自のシステムだった証拠は?日本軍の南京占領後の人口増加を大虐殺を前提にどう説明する?原爆投下や東京大空襲は一般市民対象の無差別攻撃でないなら一体何か?ハーグ陸戦条約に沿ってどう合法化されるのか?東京裁判A級戦犯を事後法で裁いた正当性は?東京裁判の判事には法曹未経験者がいた。公用語の英語も日本語も分からない判事がいた。法曹のイロハも言語も理解せずどうやって公正な判決が出せたと言うのか?答えられる方はいるだろうか?

歴史を考察するなら事実に客観的に向き合うのが第一歩ではないのか?それが出来ないなら歴史を語る資格はない。歴史小説を語るに等しい行いだ。そう、売国反日メディアや支那・韓国、更に「日本海」と「東海」を併記しようと言う米国州議会議員どもの事だ。そこに気付かないのはつくづく愚かな連中だ。こういう連中の語る歴史認識歴史認識に非ず。語る前にまずは歴史事実の勉強をするべきだ。