嘘吐き習近平

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習近平がドイツを訪問して日本を非難した。南京大虐殺ホロコーストになぞらえて「日支事変で3500万の支那人が死傷、特に南京大虐殺では30万以上が犠牲になった。」と。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140330-00000060-san-cn

官房長官習近平の発言について支那に抗議したと明らかにした。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140330-00000520-san-pol

しかし所謂南京大虐殺に関する習近平の発言が全くの嘘八百である事は史料から「歴史を直視すれば」明らかである。

日本軍が南京を陥落させたのは1937年12月13日だ。支那の主張によればその後6週間に渡って日本軍は「虐殺・強姦・暴行・略奪」の限りを尽くしたと言うが当時の南京には安全区域が設定されており、ここに日本軍が一切の攻撃をしていないのは史料や当時の報道から明らかである。

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また蒋介石は南京陥落前に逃走しているが、直前の1937年11月30日に日記に「抗戦の果てに(南京)東南の豊かな地域が敗残兵の掠奪場と化してしまった。(中略)(自軍の)撤兵時の掠奪強姦など軍紀逸脱の凄まじさにつき、世の軍事家が予防を考えるよう望むのみだ。」と記している。また当時のニューヨーク・タイムズには南京及び周辺村落に支那軍が放火し、焦土戦術を取った記事もある。そしてニューヨーク・タイムズのダーディン記者は「日本軍の空襲、砲撃が与えた損害は殆ど軍事施設に限定されており、その損害を合わせても支那軍自身が南京に与えた損害の十分の一以下」と記している。

そもそも南京の当時の人口は記録がある。南京安全区国際委員会から各国大使館に送られた南京の人口調査表によると
1937.12.17:20万
1937.12.27:20万
1938.1.17:25万
と、日本軍占拠後1ヶ月で人口は5万も増えている。それ以前に習近平は南京で30万人虐殺されたと言ったが当時の南京の人口は20万…皆殺しにしても足りない数である。と、なると習近平の発言通りならば南京陥落後に支那人が南京周辺から35万人(南京の人口以上だ)が南京に殺されに来た事になる。日本軍が南京で虐殺をしたなら普通は一番近くにいる南京市民がまず標的になる筈だ。それを承知して市民が南京に戻る選択肢があるのだろうか?

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※陥落後の南京の様子。大虐殺は想像できない。

また、南京攻防戦の司令官は松井石根大将であった。彼は親支那派の軍人で孫文とも交流があり、また蒋介石が日本に留学した際の下宿の保証人でもあった。そんな彼は南京の外国権益や支那文化財の保護を指令している。南京入城に際しても掠奪、失火は厳罰と指令している。

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松井石根大将

また当時の米南京大使館エスピー副領事は「市民の大部分は安全区域に避難」「残留する支那兵は便衣兵と化した」と米本土に報告している。彼は東京裁判でも支那兵による南京陥落直前の掠奪、暴行、殺人を証言している。

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支那の南京焦土戦術を伝える新聞記事

その東京裁判松井石根大将は有罪となっているが、彼はB級戦犯として処刑された。松井石根大将のA級戦犯容疑は全て無罪の判決であった。南京大虐殺が事実なら南京陥落時の最高司令官だった彼がA級戦犯でなくてはならない。(南京大虐殺A級戦犯容疑に該当)

更に都知事選での百田尚樹氏の発言にもあったが、1938年始めの国際連盟理事会で顧維欽が中華民国代表として「日本軍により南京で2万人虐殺・婦女暴行数千」と演説していたが国際連盟は相手にしなかった。理由は今まで述べてきた事である。尚、虐殺としている二万人は便衣兵であり、それ自体が戦時国際法上違法である。捕虜の資格が無いため、即射殺しても国際法上問題のないテロリストと同質の存在である。日本軍がやったのは便衣兵の掃討であり、その他の行為は支那兵がやった事を日本に責任転嫁しているに過ぎない。

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