李舜臣は英雄か?

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韓国では李舜臣とは英雄…だそうだ。

そんな李舜臣を描いた映画があるそうだが、大人と子供の反応の違いについて韓国・中央日報が記事にしていた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140729-00000036-cnippou-kr

「兵法の大家らしく、竜巻を起こす鳴梁海峽の海流を見事に活用したのが勝利の要因だ」
ボトルネック現象のように狭くなる鳴粱海峡に敵を誘い込んだことからして卓越した戦略だった」

軍事専門家にでもなったかのように李舜臣の「優れた軍事戦略と兵法を高く評価した」のは映画を観た大人の反応らしい。

「板屋船が海流に巻き込まれて死にそうになったが、人々が小舟に乗って手かぎで引き挙げるでしょう。李舜臣を救うために命までかけた理由があるのではないでしょうか?」
李舜臣の立派な人柄が、民衆から尊敬されていたから」
「外敵の大将船は一番後ろにいるのに、李舜臣の船は一番前で1人で戦いました。率先垂範しなかったとすれば戦争で負けていたでしょう。」
「自身を殺そうとした先祖のために命を捧げて戦うじゃないですか。そんな包容力が兵士たちを1つにしました」

これは子供の反応らしい。記事は子供達を正しく導く大人たちの能力が不足しており、むしろ子供たちに時間が与えられれば自ら討論して悩み、大人たちも見えなかった本質的な部分まで見抜いていた…と、している。

韓国の歴史擬を信じるならそうだろう。だが実際に李舜臣の実像は一言で言うならば「生涯を通じて文官に迫害され、日本統治時代までその戦功は無視され、朝鮮人に忘れられていた」(倉山満氏)と、言った所か。


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秀吉による朝鮮出兵李舜臣の活躍で日本軍が苦戦を強いられたのは間違いなかろう。だが、旧来日本軍の補給不足を李舜臣の補給路遮断によるものと解釈されることが多かったが、補給不全が生じていたのは内陸部に進出した部隊に対してであって、全戦役を通じて九州から釜山までの海路における物資や人の流通が決定的な補給不全を起こしていたことはなく、故に日本軍の補給路が李舜臣率いる朝鮮水軍によって「遮断された」と解釈するのは誤りである。現在はそれが通説になっているようだ。

またその最期も名将に相応しくないものである。一言で言うなら「露梁海戦で島津水軍に討たれて戦死」である。その露梁海戦での最期は諸説紛々だ。(因みに文献では双方が勝利として記述している。)
この戦い、和議が成立して撤収する小西行長李舜臣が和議を無視して撤収不可能にしたので日本軍が救援に来た所起こった。明・朝鮮側は、待ち伏せであったにもかかわらず、結局は小西行長軍を取り逃がしてしまった上に、戦国大名の首級を一つも挙げられず、逆に李舜臣ら諸将を戦死させて失った。一方、日本側は小西軍の撤兵は成功させたものの、夜間の待ち伏せから開始された戦闘は終始不利であった。双方の部隊とも被害は甚大で、痛み分けであったといえるが、戦術的には苦戦を強いられた日本軍の勇戦がめだち、殿(しんがり)の任を果たして血路を開いて脱出して、多数の捕虜を得ようとしていた明・朝鮮側の戦略の意図を破綻させた。

いずれにせよ、既に和議が結ばれて全日本軍が撤退していく最中の戦いであり、その原因を作って自身が戦死した李舜臣は将としての仁義がない卑怯者である。

…悲しい事に朝鮮半島の歴史上の偉人はこの程度でしかない。安重根もそうだが、日本相手でしかも正面から堂々とやった事ではないのは共通している。世界に誇れる日本人は沢山いるが、朝鮮人にいるだろうか?「歴史を直視しろ」と言うならそこも韓国人には是非とも直視して貰いたい。そうすれば李舜臣安重根への畏敬の念など遥か彼方に吹き飛ぶに違いないだろうが。

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