絶滅寸前のキタシロサイを人類は救えるか?
※絶滅寸前のキタシロサイ。
これも我々人類の業と言う他ないのだろうか。
キタシロサイと言うサイ、最早絶滅寸前の危機的状況である。何とか絶滅から救おうと自然保護活動家や研究者による国際会議が開かれたそうだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150129-00000048-jij_afp-env
現在生存しているキタシロサイは僅か5頭しかいない。 キタシロサイは中央アフリカ、チャド、コンゴ民主共和国の北東部、南スーダンなどにかつて生息していた。「そうなる前に何で何も対策を取らなかった?」という疑問が湧くが、この地域では長年の慢性的な紛争やそれに伴う無法状態化により、これらの国々のキタシロサイの生息地は失われた。国際環境保護団体フォーナ・フローラ・インターナショナル(Fauna and Flora International、FFI)のアフリカ責任者、ロブ・ブレット氏は、これらの情勢不安定な地域では「保護活動が不可能な場合がある」と語る。
更に密猟も大きな被害をもたらした。キタシロサイの角は現地で伝統的に儀式用短剣の柄の材料として重宝され、最近ではアジアで治療薬としても使われてきた。(但し薬効はないそうだ)
しかもサイの角は1キロ6万5000ドル(約770万円)以上で闇市場で売買されているそうだが、これは金価格やコカインの卸値よりも高いらしい。その金目当ての乱獲も当然原因だ。
つまりキタシロサイをここまで追い込んだのは人間のせいだ。人間は自らの過ちで幾つもの種を絶滅に追い込んだが、また同じ愚行と悲劇が繰り返されようとしている。
種を自然繁殖で維持するには最低20の個体が必要だと言う。キタシロサイは僅か5頭。絶滅危惧どころか、自然環境下では絶滅必至である。しかもその5頭は何れも事実上自然繁殖不可能であり、保護する為の環境は絶望的なまでに始末が悪い。
※現在生存しているキタシロサイの一覧
特に雄は後1頭しかおらず、その1頭はこのサイの平均寿命とされる40歳を越えているそうだ。彼が死んでしまってはどうにもならない。…と、なれば人類の英知を駆使してキタシロサイの絶滅を回避できないものか?
一番手っ取り早く、可能性が期待できるのは体外受精で「試験管サイ」をつくることだろう。これについてはその胚は近縁種のミナミシロサイの子宮に移植する事が想定されているらしい。だが過去にチェコの動物園で行われたキタシロサイの人工授精は失敗に終わっており、代理出産の実施例は過去にない…そうだ。
精子と卵子を可能な限り冷凍保存しておくことで、将来的に現在技術的に不可能な手段が可能になる等の条件があればキタシロサイを復活させることは可能かもしれない。だがこれでは現状の解決にはならないため、キタシロサイは少なくとも、しばらくの間姿を消すことになる事に変わりはない。
※「神の馬」と呼ばれたラムタラ。(左の緑帽子の騎手の乗った馬)
ノーザンダンサーの2×4と言うかなりの近親配合の馬だった。そのせいか自身を彷彿とさせる次世代の馬は生まれなかった…
それ以前に前述の様にキタシロサイの雄は1頭しかいない。仮に現在生存しているキタシロサイの精子と卵子から復活出来たとしてもそのキタシロサイ同士の繁殖は超近親配合になってしまう。同じ父の子供同士の近親配合なんて競走馬の生産でも絶対有り得ない。これでは1世代目の復活は出来ても2世代目以降の繁殖には大きな問題が発生するのは言うまでもない。
※「ジュラシック・パーク」のこのシーンが現実になるのだろうか?
…と、なるとキタシロサイの残った角や毛などからDNAを採取してそのDNAからクローン再生できないものだろうか?映画「ジュラシック・パーク」で恐竜を復活させた、アレである。
勿論現在の技術では難しいだろう。しかし将来的に可能性が無いわけではない。それに期待して出来るだけ多くのDNAを保存する必要はあるのではないだろうか?
会議が行われたオルペジェタ自然保護区の最高責任者、リチャード・ビーン氏も「たぶん、我々は種の絶滅を目撃するだろう。それが現実だ。彼ら(キタシロサイ)はここで死ぬんだ」と、半ば諦め気味のコメントを残している。
※ドードー鳥。「不思議の国のアリス」にも出ているが、人間が絶滅させた。
※クアッガ。これも人間が絶滅させた。残った毛皮から遺伝物質が検出され、ジュラシック・パークの話のモチーフになった。
※ステラー大海牛。発見から僅か30年足らずで人間が絶滅させた。
※リョウコウバト。10億羽いたとも言われるが、それでも人間が絶滅させた。
※ニホンオオカミ。日本人が絶滅させた種もある。
ドードー鳥、クアッガ、ステラー大海牛、リョウコウバト、ニホンオオカミ…これらの動物は人類が無造作に乱獲した為、絶滅した種である。自然環境下での他種との生存競争に敗れ、自然淘汰されるならまだしも人為的に絶滅させてしまうのは愚行でしかないが、人類は幾度も同じ過ちを繰り返してしまう。またニホンウナギなど絶滅の危機に瀕している生物もまだたくさんいる。絶滅した種を復活させる事が仮に出来たとしても、バイオテクノロジーでそれをやるのはある意味「神の領域」に踏み込む事になるだろう。種を絶滅させると言う事はそれだけ業が深いのである。
※バイオテクノロジーの誤用の象徴とも言えるビオランテ。バイオテクノロジーで怪獣を生み出してしまうと人間の方がよっぽど怪獣になってしまうかも知れない。バイオテクノロジーの誤用は危険であろう。科学にも良心が必要であろう。