原爆犠牲者を冒涜する韓国人

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※日米問わず「ゴジラ」のテーマは「反核」である。

…昨年公開されたハリウッド版「ゴジラ」。作中で渡辺謙さんが演じた芹沢博士は父親が広島で被爆した、と言う設定の人物であった。

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※父親が広島で被爆した事を告げる芹沢博士。加害者2世と被害者2世の邂逅シーンでもある。

怪獣を追って日本から米軍に随行したものの、米軍司令官のステンツ提督は怪獣を核ミサイルで一網打尽に抹殺する作戦を立案する。芹沢博士はそれに一人反対し、ステンツ提督に父親の形見の懐中時計を見せる。それを見て「止まっている」と言うステンツ提督に芹沢博士は「1945年8月6日午前8時15分」とその時計が止まった時間を告げる。「広島か」とステンツ提督はその意味を悟る…余談だがこのステンツ提督は裏設定でエノラ・ゲイの乗組員の息子と言う設定で、彼に芹沢博士が父親の体験した原爆の残酷さを語るシーンがあったと言う。撮影もされたものの編集の都合でカットされてしまったそうだが、実に残念な事である。しかし、それでも筆者としてはこのシーンがこの映画の白眉だと思っている。そう、日米問わず「ゴジラ」のテーマは「反核」だが、それを如実に示すシーンであると言える。…もっとも作中ではそれでも作戦は実行に移されるものの、結局裏目に出て更なる危機を招く事になるのだが…

…その8月6日、インドでは日本の原爆投下による犠牲者を追悼すべく国会で黙祷を捧げるのが恒例となっているそうだ。ありがたい事であり、不祥ながら一日本人としてインドの人々に謝意を表したい。

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※安倍首相とモディ首相とのTwitterでのやり取り。

モディ首相も出席し、Twitterに日本語と英語で「広島で命を失ったすべての方に哀悼の意を捧げる。広島、長崎への原子爆弾投下は、戦争の恐ろしさと人類への影響を想起させる」、「人類が抱える問題を解決する道は、平和と進歩の中にある。平和な世界を作るため、皆で肩を並べて歩いていこう」と書き込んだ。これに対して安倍首相もTwitterでモディ首相とインド国民に謝意を英語で表したとの事だ。

http://www.sankei.com/world/news/150806/wor1508060017-n1.html
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核兵器の使用が如何に残酷な結果をもたらすのか?8月6日と9日はそれを確認し、原爆で亡くなった人々への哀悼の意を示し、同じ事を繰り返さぬ誓いを人類全体がが立てるべき日であると言える。…しかしそういう精神を理解出来ない人間が存在する…という事は同じ人間として恥ずべき事である、と言えるだろう。
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150806-00000039-xinhua-cn

それは言うまでもなく韓国人である。東亜日報なるメディアのコラムにて 「広島だけを記憶し、それ以前を忘却する日本人の考え方が、まさにここから始まった」とする無知蒙昧無見識な妄言を吐いていると言うのだから。

「広島センチメンタリズム」等と勝手に名付けている様だが、このコラムに言わせるとそれは、《広島の被爆から反核・平和を訴えることで「加害の歴史の罪から逃れようとしている」》という論理らしい。実に馬鹿げた愚劣な主張である。

数年前にも原爆投下を「神の懲罰」として日本人の怒りを買った馬鹿な韓国メディアがあったが、それから何も学んでいない様だ。それとも反日記事を書く上で過激な表現にすればウケるとでも思っているのだろうか?どちらにせよ低俗な独り善がりの出鱈目コラムである事に変わりはない。
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※拳王様でなくても韓国には怒りしか感じまい。

そもそも韓国に対する「加害の歴史」など最初から存在しない。日韓併合日本からしたのではないし、日本統治の結果身分差別の撤廃、人口も平均寿命も倍増、朝鮮民族の文字であるハングルの識字率も向上させ、各種インフラの整備…など恩恵は施していても恨まれるべき事はない。第二次大戦時は朝鮮人「日本人として」戦争に参加したのであり、慰安婦はただの売春婦、戦時徴用は合法的なものであったなど、後ろ指を指される様な事も一切ない。言論の自由」には「嘘出鱈目捏造歪曲を言う自由」は含まれない。メディア人である以上主張には客観的裏付けがあって然るべきだが、このコラムからはそんなものは微塵も感じられない。「自分がそう書けばそれが真実になる」とでも思っているのだろうか?だとしたら人としてその思考回路は異常であると言うべきである。「所詮は韓国人の異常思考回路による出鱈目コラム」と軽蔑するのも結構な話ではあるが、こう言う発想そのものが原爆で犠牲になった人々への冒涜である。

原爆投下は「市街地への投下による非戦闘員の無差別大量殺人」がその本質である。明らかな国際戦争法規違反、戦争犯罪そのものだ。支那朝鮮以外の世界は口に出さないだけでそれを知っているが、連中だけはそれとは無関係に日本人がそういう目に遭った事に意味を見出だすのだろう。その根底にあるのは差別意識と劣等感に他ならないが、それらを自分達で克服しない限り連中に通常の思考回路を求めるのは出来ない相談である。実に哀れむべき連中ではある。
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※安倍首相の広島での挨拶全文。