「親日人名事典」配付と言う愚

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※「親日人名事典」こんな物を作っている暇があるならまともに歴史を考証する方がよっぽど有意義である。

やはりこの国は「狂っている」としか言い様がない。

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151109-00022443-hankyoreh-kr

ソウル市内のすべての中高校の図書館に『親日人名辞典』が普及されるそうだ。これは韓国の「民族問題研究所」とやらが2009年に発行し、この『親日人名辞典』は3巻で構成されているそうだ。朴正煕や、『東亜日報創始者キム・ソンス 、『朝鮮日報』元社長パン・ウンモなど計4389人の名前を「親日人名名簿」として掲載している。名簿に名前の載った人物の子孫などから反発が出た事は言うまでもない。

要するに親日売国奴」と言う前提での「売国奴リスト」であると言っても良かろう。そんな物を作る意味があるのか?と言うそもそもの疑問から始まる方が殆どではあるまいか?

歴史を学ぶにあたって「人」で見るのは決して間違った考え方ではない。例えば支那の歴史書でも「紀伝体」と呼ばれる「人物を中心に作成された」歴史書は現実に存在する。日本でもお馴染みの三国志」などがその典型であろう。

ところがこの親日人名辞典』の場合は「親日売国奴」と言う決め付けから始まり、その人物を貶める事が目的としか思えない代物である。どうせならば自国の「栄誉ある」歴史を作った人物のリストを作った方が遥かに意味があるのは明らかなのだが、この国にはそれに該当する人物がいないのだからそれを求めるのは野暮であろう。
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世宗大王像。彼の作ったハングルを周知させる基礎は日本人の手によるものだった。

世宗大王と言う王がいた。朝鮮史上最高の王らしい。彼の作ったハングルは朝鮮半島発祥の文字かも知れないがあくまでもこの王からすれば「下々にくれてやった」文字でしかない。当時貴族は漢文を読めたがそれを読めない庶民の為の文字、つまり明確な差別政策の産物であるとも言える。漢字とハングルを組み合わせて漢文を書き下しで読めるスタイルを考案したのは朝鮮人にあらず、なんと福沢諭吉である。また日本統治前の朝鮮人のハングルの識字率は4%でしかなかった。それを日本統治の35年間で46%にまで引き上げたのは日本が統治する前には100校程度しかなかった小学校を4000校近くまで作って朝鮮人を教育した結果である。その意味では現在韓国人がハングルを読み書きできるのも彼等の言う「日帝残滓」と言う事になり、携わった人間全てがこのリストに掲載されていても不思議はないのだが…?

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李舜臣像。実は鎧は支那の、刀は日本の物らしい。しかも利き手に刀を持つポーズは「降伏」を表すものとも言われるのだが…?

李舜臣と言う武将がいた。豊臣秀吉朝鮮出兵の際に活躍して日本軍を苦しめた事はまず間違いはないと言える。この武将は「救国の英雄」と韓国では尊敬の対象になっている様だが、実際にはその活躍は誇張された物も多く、またその最期は「和議を結んで撤退する日本軍を和議を無視して背後から襲いかかり、その最中に流れ弾に当たって討死」と英雄らしからぬ最期としか言い様がない。少なくとも通常の感覚では「祖国の英雄」として誇りに出来る人物であるか否かはその最期故に大きな疑問点を残す結果になっている。…それ以前に李舜臣は没してから約200年後には首相並みの位を追贈されてはいるものの、時代の流れと共に一般市民にはその存在を忘れられ、その名が朝鮮で再び有名になったのは明治になってから日本人が朝鮮人に「民族の誇り」を持たせる為に李舜臣を「英雄として」持ち上げたからだとも言われる。

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※韓国の歴史認識なんてこんな程度。

つまりこの国は「民族の英雄」でさえこの始末である。日本なくして韓国人は自らの国の歴史もロクに考証出来ないのだ。それでいて親日人名事典」なるネガティブリストとは噴飯にも程がある。寧ろこの様に韓国人がリスト化して貶めている人物こそが朝鮮の発展に貢献した人物なのかもしれない。何れにしてもこんな物を作って活用するなど狂気の沙汰であり、また歴史の真実に目を背ける愚行には違いないであろう。そこまで「親日が悪」と言うならば日本としては相手にする必要など微塵もあるまい。どうせ「歴史を忘れた民族には未来はない」のだから。
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※日本に向けた言葉らしいが、その意味を最も重く受け止めるべきなのは当の韓国人であるのは言うまでもない。