安倍首相の靖国神社参拝を違憲とする訴訟を棄却したのは当然だ。
※国家の為に命を落とした人に敬意を表する事を問題にする事が問題なのである。
安倍首相が2013年末に靖国神社を参拝したのは憲法違反、平和的生存権の侵害だとして訴訟が起こされていたそうだが、大阪地裁は
「参拝による原告らの法的利益の侵害を認めることはできない」
「特定の個人の信仰を妨げたりして圧迫、干渉するような性質のものではない」
「自己の心情や宗教上の感情が害されたとして不快の念を抱いたとしても、直ちに損害賠償を求めることはできない」
「平和的生存権として保障すべき権利、自由が現時点で具体的権利性を帯びているか疑問」
として原告側の訴えを退ける判決を出した。
※どうせ支那朝鮮に思考回路を汚染された人間の戯言でしかない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160128-00000044-jij-soci
※「不当判決」ではない。「まともな」判決だ。
また、過去に違憲判決が出ている事に対しても
「社会情勢や国民の権利意識の変化で裁判所の判断が変わることもあり得る」
とした。
…当然と言えば当然の判決である。不肖筆者としても「平和的生存権」と言うのを否定したりする立場ではないが、現職首相が靖国神社を参拝したからと言ってその「平和的生存権」が侵害されたとは思わない。そもそも具体的損害、と言うのが原告に発生していない以上、裁判として成立しないのだが、原告は何時になったらそれを理解するのだろうか?
「首相が靖国神社を参拝するのは『政教分離に反する』」
と言う主張があるが、それを言うのであれば例えば首相が年初に伊勢神宮を参拝するのだって同様だが、首相が伊勢神宮を参拝したからと言って、「政教分離違反」を理由に訴訟を起こした、と言う話は聞いた試しがない。伊勢神宮が良くて靖国神社が駄目な理由、と言うのを逆に聞いてみたいものだ。果たして万人を納得させられるだけのロジックと言うものがそこにはあるのだろうか?
※伊勢神宮が良くて靖国神社が駄目な理由を是非聞きたい。
それ以前にこの手の訴訟を起こす連中は
「靖国神社が何故現在も戦没者追悼施設と言う側面を持ち続けられているのか」
と言う理解がない。本当に靖国神社が軍国主義の象徴、聖地であったのならば、戦後GHQに問答無用で解体されていた筈だ。…いや、実際GHQは一時そう考えて靖国神社を消滅させようとしていたらしい。だが、現在も靖国神社が「戦没者追悼施設」のままの変わらぬ立場で存在し続けている事それ自体が「そうではない」証明に他ならないのだが、原告にはそういう理解は出来ないらしい。訴訟を起こす前にそういう歴史を学ぶべきであったのは言うまでもない。
※靖国神社の歴史を先ずは学ぶべきである。写真は先日不肖筆者参拝時のもの。
「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」
戦後靖国神社を守ったローマ教皇庁のビッテル神父の言葉だとされている。靖国神社参拝にあれこれ言う前に先ずはこの言葉の意味を考えるべきではないのか?また靖国神社に祀られているのは「戦争で命を落とした軍人」だけではない。軍犬、軍馬、伝書鳩など、「生けとし生けるもの」も区別なく祀られている。それは忘れてはならない事である。