自身の暴言を棚に挙げて政治家の暴言を批判する愚~転載「阿比留瑠比の極言御免」~

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※コレがそのコラム。

「政治家の暴言、不行跡は目に余る」

これは支持政党問わず政治に関心を持っている人であればその定義はさておき共通の認識であろう。ところが、である。それについて述べた今週の「阿比留瑠比の極言御免」である。
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http://www.sankei.com/politics/news/160407/plt1604070002-n1.html

最初の言葉は東京新聞のコラムで山口二郎が述べた言葉なのだそうだ。言葉だけ見ればその通りである。与党野党問わずそれは見受けられるし、非難されても当然である。何せ「言葉の暴力」は時として物理的な意味の「暴力」より重いこともあるのだから。

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※「お前は人間じゃない」なんてヘイトスピーチを表紙に持ってくるとは…常軌を逸している。
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※民主主義国家で「謀反」って…?尚、「謀反」とは結果として失敗することがそう呼ばれる条件なのだが…?

その山口二郎が個人として安保法に反対なのは個人の思想信条の範疇だが、こういう本人の発言は「暴言」ではないのだろうか?

「安倍(晋三首相)に言いたい。お前は人間じゃない。たたき斬ってやる」

「日本に生きる人間が人間であり続けたいならば、安保法制に反対しなければならない」

山口二郎によれば安保法に賛成する人間は人間ではないらしい。ドナルド・トランプでもそこまでは言うまい。では一体何なのか?と言われると不明だが、例え意見が異なる、相容れない相手であったとしても「人間扱いしない」のは一線を越えたヘイトスピーチその物であるとしか言い様がない。政治家に限らず他者の暴言を非難する前に己の言動をどうにかするべきなのは言うまでもない。

政治家同士でも話は同じで例えば民進党山尾志桜里の5日の衆院本会議での質問風景もそうだったとしか言い様がない。
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※お約束の「秘書の責任」らしい。
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※「新築祝い」でカネを出すのは勿論違法である。

自身の政治資金疑惑が複数浮上しているにも関わらず、それには一切言及しない一方で、安倍政権の政策や選挙公約に対して「さらに嘘を重ねる」「嘘の上塗り」など約10回にわたり、嘘つきというレッテル貼りを試みていた。自身の政治資金疑惑に関して会見するにはしたが「秘書の責任」というオチ。「レッテル貼り」も「秘書の責任」も民主党時代からのお家芸である。かつて

「秘書の責任は政治家の責任」

と言った政治家がいたが、あれは名言だったのか、それとも迷言だったのか…?
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※だからこう揶揄される。
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※グラフを見れば一目瞭然で待機児童問題は民主党政権のせいだと判る。

山尾志桜里は「保育園落ちた日本死ね!」という匿名ブログを国会で取り上げて政府・与党を攻撃し、脚光を浴びたが、そもそも「保育園落ちた日本死ね!」などと言う表現を「暴言」と言えない方にも問題がある。「暴言が暴言を呼ぶ」悪循環を行う意味が何処にあるのか?それ以前に待機児童の増加は民主党政権の責任なのだが…?政府高官はこうあっさり受け流しているそうだ。

「あのブログは結局、国民にうけていない。自分の子供が保育園に落ちたら日本は滅びろというのは、普通の人には支持されない」

また、山口二郎のコラムは暴言や不行跡が目立つ政治家の多くは「憲法改正に熱心で、戦後教育が日本人の道徳を退廃させたと嘆いている」とし、

「最近の政治家はやたらと人にかみつく狂犬程度の存在なのか」

と言う。一方ジャーナリストの山村明義氏は新著『劣化左翼と共産党

「最近このような罵詈雑言や空想的な発言を行うのは、圧倒的にかつてなら『進歩派』とか『革新派』と呼ばれた『左翼層』が多いというのが実態です」

どちらが的確な論評であるかは自明の事であろう。
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※民主主義国家で何故か「闘技」という有形力の行使を勧める愚。