再び登場した韓国の歴史妄言


韓国がまた「日本が歴史歪曲」と噛み付いている。

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160509-00000057-cnippou-kr

日本の自由社教科書は2011年版で

「562年、ついに任那新羅に滅ぼされ、大和朝廷は朝鮮で影響力を失った」

と記述していた。

しかし、2015年版には

任那が滅亡すると新羅はこの問題に日本が介入することを避ける為、日本に任那の産物を送り友好的な姿勢を取った」

という内容を付け加えた。追加された内容は「新羅任那の産物を日本に貢納した」と解釈できる、と言うのが今回の言い掛かりである。

が、そもそも韓国人の考える「新羅」はかくの如し。根底から間違っている歴史認識で言われても意味はない。
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※韓国人の考える「新羅」。妄想の産物でしかない。

そもそも高麗王朝17代王仁宗の命を受け1145年に編纂された高麗国正史「三国史記、及び1280年代完成の「三国遺事」は共に朝鮮最古の部類の史書だそうだが、この時点で連中の言う歴史の嘘が簡単に暴かれると言う。

三国史記新羅本記は「第4代王昔脱解は倭の東北千里から来訪し、その大輔(≒総理大臣)は倭人瓠公」とする。系図では第16代迄は脱解直系子孫、第17代以降も傍系子孫だ。それどころか初代朴赫居世も倭人と推定する説まであるそうだ。従って高麗及び李氏朝鮮の本家新羅は、倭人系国家だったと言える。自国の史料でさえこの有り様なのに、一体何を見てその様な妄言を吐くのか?

後漢書韓伝は馬韓、弁辰は南に倭と接する」と明記、倭の勢力圏が朝鮮半島まで及んでなければこの様な表現になる筈もない。更に魏志倭人伝馬韓を経て(陸行すると)倭の北岸狗邪韓国に到り」と書く。ついでに言っておくとここから船に乗って初めて対馬国に到る。韓国人は「対馬は韓国領土だ」等と嘘出鱈目を吹聴するが、何の事はない。少なくとも3世紀の邪馬台国の時代から対馬は日本の領土だったと支那の公式歴史書は認めている。古代朝鮮半島南西部には倭人の国(もしくは勢力圏)が確実に存在していたと考える以外ないのだ。

更に「宋書」には、?宋文帝が倭王済「使持節都督・新羅任那加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事」の号を授けた記述や有名な倭王武の順帝宛上表文の「海を渡って平らげること95ヶ国…云々」を認め、順帝から「武を使持節都督倭・新羅任那加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に叙した」と言う記述がある。つまり倭の管轄下に朝鮮半島諸国があることを宋順帝は公式に認証している。生憎だがこれらは日本の史料ではない。先ずは自国の史料でも読んでから物を言うべきだが、悲しいかな、所詮は漢字を棄てた国である。正しい歴史認識を身に付ける為に先ずは漢字を読めるようにしてはどうか?
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※韓国の狂った歴史認識は日本だけでなく支那に対しても例外ではない。

古朝鮮の建国は紀元前2333年」だそうだがこれはあくまで神話伝承の類の域を出ず、考古学的な実証は一切ない。他国に説明のしようなどある筈もない。また古朝鮮の領土は南満州沿海州にまで及んだ」等と吹聴しているが、この嘘出鱈目こそが支那と韓国の歴史認識の争いの「諸悪の根源」である。少なくとも紀元前108年に前漢武帝朝鮮半島に「漢四郡」を設置したのは支那の歴史書に記録されており、?その一つ楽浪郡の所在地が、現在の平壌の郊外、市街地と大同江を挟んだ対岸にある楽浪土城にあった事は土塁で囲まれた東西700m、南北600mの遺構に、当時の様々な遺物の他、官印「楽浪太守章」の封泥までもが出土しており、考古学的には支那の記録が正しい事は明白なのだが…

また、新羅・百斉・伽耶の勢力圏内だった地域で日本産のヒスイ製勾玉が大量に出土高句麗の旧領での出土は稀)しているが、朝鮮半島には勾玉に使われるヒスイの産地はなく(東アジア全体でも日本の糸魚川周辺とミャンマーしか産地がないそうだ。)更に最新の化学組成の検査により朝鮮半島出土の勾玉が糸魚川周辺遺跡のものと同じであることが判明している。また韓国南部にある前方後円墳である高敞七巌里古墳からは日本の土師器系高杯などが出土している。それらが何を意味するのかは論を待たない。自由社の教科書は事実を書いてあるだけに過ぎない。
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※韓国にある前方後円墳は古くて5世紀後半、写真の箸墓古墳は3世紀。何を言わんやである。

歴史のいろはも知らないこんな国にとやかく言われる筋合いなど皆無である。日本は史料や証拠に基づいた歴史を伝えていけば良いのである。間違っても韓国の様に妄想ありきの狂った歴史認識を持ってはならない。