週刊新潮VS鳥越俊太郎

イメージ 1
※今回も説明責任から逃げた…

本日発売の「週刊新潮」に鳥越俊太郎淫行疑惑に関しての記事が掲載されている。

イメージ 4
イメージ 5
イメージ 6
※新潮の記事

イメージ 2
http://www.sankei.com/politics/news/160727/plt1607270026-n1.html

…と、発売前日の段階で記事になっている様に鳥越俊太郎陣営として即座に週刊新潮に抗議文を送付更に選挙妨害及び名誉毀損での刑事告訴そして弁護団がこの件に関して「一元的に対応」先週の週刊文春と同様の対応である。
イメージ 3
※新潮への抗議文

イメージ 7
※こちらは先週の文春の記事。

週刊新潮の記事は、先週の週刊文春のそれと同一の件である。但し、文春の場合、記事のベースは鳥越の被害に遭った女性の交際相手かつ現在の夫からの証言だが、新潮は13年前に被害に遭った女性本人に取材していたのだ。

しかし当時新潮は記事の掲載を見送った。直前に「やはり、記事にしないで欲しい」と強く要望されたからだと言う。しかし、文春が記事にした事、更に鳥越俊太郎東京都知事選挙に立候補している以上、有権者がその資質を判断する材料として13年間御蔵入りしていた当時の取材記録の封印を解いた、と言う事だそうだ。

文春の時にも述べた事ではあるが、こういう場合、記事が真実か否か?と言う事より公人として「疑惑が出た時、自身がどう対応するか?」が注目される。出馬している以上、選挙期間中は公人である。自分の口で説明しないのであれば舛添要一以下、山尾志桜里レベルの愚劣さだ。そしてその対応」が「問答無用の法的措置」だと言うのであれば、それは「ジャーナリストとしての矜持の放棄」でしかない。「言論」には「言論」で返すのが「言論人」としての筋であるのは論を待たないだろう。

イメージ 8

イメージ 10

イメージ 9
※鳥越弁護団による告訴の法的根拠。「記事が事実でない」立証責任は鳥越サイドにある。

鳥越俊太郎はこれまでジャーナリストとして他人の不都合はさんざん批判して記事にしたりもしてきたのだが、自身のスキャンダルに対してはこの様に「言論封殺」が基本路線とは呆れる他無い。そもそも鳥越俊太郎は「反権力のジャーナリスト」として名を上げて来たのではなかったのか?「反権力」を標榜しておいて「刑事告訴」と言う形で検察と言う「国家権力」に頼るとは如何なる所存なのか?「反権力」ならばまずは自力で疑惑を払拭するべきであった。
イメージ 11
※だったら自分で証明しろ。

…要するに典型的な「左翼御得意のダブルスタンダードでしかない。普段は「反権力」等と反骨精神を売りにして攻めるが、一旦守りに入らざるを得なくなると「他人の権利を侵害」したり「権力」にすがる。これの何処が「まとも」と言えるのだろうか?「反権力」のジャーナリストが自身に不利な「言論」には「言論」で返さず「権力を使って」でも封殺…記事の真偽がどうあれ、鳥越俊太郎が自身の矜持を貫徹しなかった事に変わりはない。こんなのは都知事選に当選しようが落選しようが公人失格でしかなく、ジャーナリストとしても「惨めな存在」でしかない。文春であれ、新潮であれ、そこへの抗議文も「告訴」に関する一切の検察への説明も「都民」と言う有権者に向かっての説明ではない事は明らかだ。「都民」と言う有権者都知事選に関しては言うなれば「主権者」だが、そちらに「まともに向き合えない」人間を民主主義社会で「為政者にする意味はない」し、そんな人間が「立憲主義」云々と語るのは「語る」のではなく、「騙る」と表記するのが正しい。更にそれらは「偽善」であると共に「滑稽劇場」でしかない。それでもまだ支持する理由があるのだろうか?

イメージ 12
※鳥越苦戦が窺えるが、共産支持層でも小池支持がかなりいる事に驚く。野党も一枚岩ではない様だ。


各種調査からは鳥越俊太郎は苦戦の様子が窺える。先週の文春砲が効いているのだろうが、それに対する「自身の対応」が一番の要因であろう。言うまでもなく「自業自得」「因果応報」「身から出た錆」でしかないが、こんな愚物を担ぎ上げた民進党共産党の責任は選挙後に追及されて然るべきである。ここまで来ると「人を見る目がない」どころの騒ぎではない。こんなのを担ぎ上げた事それ自体が「有権者への冒涜行為」である事は最低限認識するべきであろう。連中にもこんなのを担ぎ上げた時点で「民主主義」を語る資格はない。
イメージ 13
鳥越俊太郎が都民の生命財産を守るとは思えない…