民共の相互不信が見えてきた。

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※「野党共闘」を口実に民進党を呑み込むつもりなのか?

共産党志位和夫民進党に対して

「(野党間の)本気の共闘をやるうえで、連合指導部の要求に従う道を選ぶのか、野党と市民の共闘に真剣に取り組む道を選ぶのか。民進党に前向きな決断をしてほしい」

と、連合か野党共闘かの二者択一を迫った、とも受け取れる発言をしていた。

同時に述べた

選挙協力は自分のところだけよいということではない」

「もし両党候補の相互推薦、相互支援がなければ『選挙協力』にはならない」

と、言うのは確かにその通りだが、言うまでもなく連合は民進党最大の支持団体である。仮に民進党が「共産党」を取れば連合だって民進党を完全に見棄てても不思議はないが、そうなった場合、最大の支持母体を失った民進党なんかと組んだ「野党共闘」で現在の与党を上回る議席を確保出来ると言う保証は一切ない。それどころか

共産党と一線を画すよう要求している」

連合票が共産党に入れるくらいなら安倍首相に」と言う理由だけで自民党に流れたらどうするつもりなのか?志位和夫の要求は額面通りだけでなく、民進党の弱体化、勢力吸収と言う腹黒い狙いも同時にあるのではないか?と言う疑念すら抱かせる。志位和夫

「連合指導部」

という言葉を使った事も志位和夫は「共産党の世界観でしか物事を見ていない」証左であると解釈も可能であろう。

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※政治的選択と昼飯の選択は次元が違う。

これに対して民進党参院国対委員長榛葉賀津也が苦言を呈している。

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http://www.sankei.com/politics/news/161028/plt1610280027-n1.html

「公党の代表が『(共産党と連合の)どっちを取るか』といわれたわけだが、もう少し慎重に発言してほしい」

「連合には『執行部』はあっても『指導部』はない。言葉の使い方も慎重にしてほしい」

民進党の立場からすればもっともだがそういう言われた側の気持ち、と言うのは志位和夫は考えていないらしい。そんな体たらくで志位和夫の言う「本気の共闘」がどう出来ると言うのだろうか?「本気で共倒」するなら日本の為にも「大いに結構」だが、自分達の言う理念「だけ」で勝てるのならば参議院選挙はあの様な結果にはなるまい。その意味を理解しなければ部分的には勝てるかも知れないが、政権交代、と言うべきレベルでの勝利は民進党主導でも共産党主導でも望めそうにはない。
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※野党なんてそんなもん。

…とは言え、

「私も今日、ナポリタンを食べるか広東麺を食べるか悩んだが、昼の定食でもあるまいし」

と、政治判断をそのレベルに例えてしまう榛葉賀津也の方にも違和感を感じる。榛葉賀津也が昼食に何を選ぼうが本人の自由だ。それで満足するのも後悔するのも本人の中で話は終わる。だが、政治的選択と昼飯の選択は次元が違う。昼飯であればその時食べたいメニューを選べば済む話で晩飯はまたその時考えればいい。だが、政治的な選択の場合、「その先」まで考えてその「選択」がなされなければならない。そしてその「選択」は本人の昼飯と違って日本国民全体に影響がある。行き当たりばったりでの政権運営の愚は「悪夢の民主党政権」で証明済みだが、未だにその意味を理解していないらしい。「アンチ安倍」も結構だが、「その代わり」がこのレベルであるのに一体何を期待するのだろうか?
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※勿論永遠に、だ。
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※ただし自浄能力は到底期待できないが。

…口では「野党共闘」とは言うが、民進党共産党も相互不信が個々の発言の裏に見え隠れしてきた。国民はそれが見抜けない程マヌケではない。連中の陳腐な自尊心の張り合い等とっくに見抜かれている。それすら気付かない様では「国民の為の政治」など出来る筈もない。野党共闘」はそのまま「野党共倒」になるのが相応しい姿である。
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※多くの国民が野党に対してこう思っている。