所謂南京大虐殺の解釈に関する一考察
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…こういう「考え方」と言うのは斬新と言えるかもしれない。
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所謂南京事件、支那は「30万人虐殺」等と嘘出鱈目を垂れ流す。それに対して我々日本人は当時の記録や残された写真等を根拠にそれを否定するが、それには然程意味を見いだせない、と言うのである。
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学術的な考証であれば南京で日本軍が組織的な虐殺を行った事実はないと断言出来る。そもそも南京には安全区が設定され、日本軍はそこには攻撃を加えなかった。南京から逃げ出した人はともかく、残った人はこの安全区に居たのだから、南京でそれ以外の場所にいたのは支那軍兵士程度しか考えられない。
また従軍記者が多数居たのに誰一人としてその現場を目撃していない。被害者の筈の国民党も、支那共産党も当時の記録には「南京での日本軍の虐殺」についての記述など皆無であると言うから、それら全ての目を掻い潜って30万人虐殺した、と言うより
「最初から虐殺などなかった」
と、考えた方が自然な結論になるのは当然だろう。
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…だが、支那からすれば支那が嘘出鱈目を並べ立てて「南京大虐殺」などを喧伝するのは
「それが事実なのかどうか」
が問題なのではなく、
「宣伝する事によって日本を貶める」
と言う明確な目的がある、と言うのが記事の重要な指摘である。つまり支那からすれば
「1937年の日本軍による南京占領時に日本軍による虐殺行為があったかどうか」
とか、
「南京で日本軍によって殺害された人が何人居たのか?」
と言う学術的な考証など基本的にはどうでも良いのである。…少なくとも連中には「最重要課題」ではない。
だが、それに対抗するにあたってこれからの学術的な考証を怠っても構わない、と言う意味ではない。そういう学術的な考証は第3国に対する主張としては十分に意味があるだろう。だが、この問題の本丸である支那にはその手は通用しない、と言う指摘には耳を傾ける必要はあるだろう。
要するに支那の主張は政治的な面が濃厚で、日本を犯罪国家に貶めることによって自国の犯罪歴の相対化を図り、同時に格差社会の内部矛盾によって生じる危険なエネルギーを日本に向けて発散させる意図、則ち「プロパガンダ」でしかない。プロパガンダと学問ではまるで畑が違う。相手の土俵に乗るようで癪に障る部分もあるが、支那が主張しているのは、「日本は犯罪国家である」という点である以上、日本でやるべき議論の中心も、「日本は犯罪国家か否か」を焦点にして
「国際社会に向かって『大虐殺はなかった』」
と、堂々と胸を張って声を大にして言える様にする事が必須だと記事は指摘する。…優先順位の問題、と言えなくもない。
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福沢諭吉は『文明論之概略』で、
「正しい議論をするには『議論の本位を定める事』が重要である」
と述べている。そして議論の本位を定めたからには、次には
「敵のためか、味方のためか、何れにてもその主とする所の本を定めざるべからず」
としている。…福沢諭吉の時代と現代とでは状況は明らかに違うが、それでも福沢諭吉の残した言葉は現代日本の対支那朝鮮対策のヒントになるものもある、と言うことだろう。改めてその先見の明に驚くばかりである。