韓国国会での不可解な合意~裁判所の判断を受け入れるのに合意が必要なのか?
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新聞記事の中には「さらりととんでもない事を書いている」と言う記事もあると言えるが、この記事はその典型例だと言えそうだ。
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記事は
「韓国の与野党は13日、朴槿恵に対する憲法裁判所の弾劾審判でどのような判断が出ても、結果を受け入れることに合意した。」
と言うだけの他愛もない内容…と一見思えてしまうが、
「憲法裁判所の判断がどうあれ、その判断を受け入れる事に与野党が合意」
など、わざわざ記事にする程の事でもないし、裁判所の最終判断を他の機関、即ち立法や行政が受け入れるのは当然、常識、当たり前の事だが、わざわざ記事にする、と言う事は与野党で合意出来なければ判決に不服がある側は憲法裁判所の判断に異議を唱えるつもりだったのだろうか?
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だとしたらそれはこの国では「近代法治国家」ではなく、「三権分立」など形だけでしかないと自ら証明するに等しく、更にわざわざそれを記事にして御丁寧に外国にまで配信するのは自分達のマヌケぶりをを世界中に宣伝する愚行でしかないのだが、その意味すら理解はされていない模様だ。
《ややもすれば、結果に不服を持つ側の大規模集会などにつながりかねず…》
とあるが、それはこの国では「政党が自らの主張を通す為に国民を煽動していた」と、言う事なのか?果たしてそれは「成熟した民主主義」と言えるのか?そう思うか否かは個人の自由だが、少なくとも不肖筆者としては「それは違う」と言いたい。
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韓国には「国民情緒法」と言うべき不可解なシステムが存在する。目の前の問題が違法でも国民がそれを望むならその違法行為は当然の如く罷り通る、と言う「法治」を正面から否定する不思議な考え方である。コレがあるが故に政党は国会での議席数の多寡よりもどれだけ多くのデモ隊を組織して自分達の主張に反対する相手に圧力をかけられるかを重視する、と言う訳か。古来朝鮮人の伝統として「声闘」と言うのがあったと言う。議論をする上でどちらが正しいか?ではなく、主張の正しさは無関係でより大声で相手を罵倒し、喝采を浴びた方が勝つ、と言う奇妙な勝敗判定だったそうだが、この国の議論は「大声」が「デモ隊の人数」に変わっただけで本質は何ら変わっていない、と言う事か。流石「進歩がない」民族なだけの事はある。それならこの国では国会も裁判所も「無用の長物」でしかないのだが…
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しかもその「合意」とやらは各政党の院内代表が国会議長と開いた会合で「口頭での」合意だったと言う。この国での「口約束」程アテにならないものはなさそうだが、果たして何処まで遵守されるのか?朴槿恵弾劾裁判の判断が下される日も近そうだが、その判断が出た後の反応を見るのもまた一興であろう。更なる笑える「ネタ」を披露してくれるかも知れないのだから。
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※代行でも国家の代表がコレでは話にならない。