教育勅語を批判する連中の愚

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※「教育勅語」に対する認識で「大臣の資質」を問うのは「思想弾圧」でしかない。

森友学園問題の煽りを受ける形で教育勅語までもがやり玉にあげられている。共産党志位和夫

「部分的にも真理があるなどといった認識は、絶対に日本国憲法の下で許されないもので、衆参両院の失効決議を全く無視するものだ。そうしたことを、防衛大臣が口にするのは、大臣としての資質が問われる問題だ」

等と述べているが、森友学園の問題でこれ以上政権追及が出来ないのでせめて

教育勅語の精神は親孝行、友達を大切にする、夫婦仲良くする、高い倫理観で世界中から尊敬される道義国家を目指すことだ」

と、教育勅語を擁護する答弁をした稲田防衛相のクビでも獲らないと収まりがつかない、としか思えない。勿論「大臣の資質」が問われる問題ではない。と、言うかそれは「思想弾圧」に等しい行為を国会で行う、と言っているに等しい。
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※「思想弾圧」を国会で行う気か?
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※コレの何処が基本的人権を抑圧しているのか?

教育勅語で示される「十二徳」は上記の通りで、コレの何処が基本的人権を抑圧し、軍国主義を推進する内容なのかさっぱり理解出来ない。敢えて言うなら

「正しい勇気を持ってお国のために真心をつくしましょう」

と言う一節が、戦争継続を正当化する口実に使われただけでしかない。第二次世界大戦における日本の戦争を「どう反省するか」は個人の「思想信条の自由」の範疇だが、一部を以て全体を完全否定するのは如何なものか?

産経新聞阿比留瑠比記者が左翼メディアを支配するその様な教育勅語に関する見方を見事に切り捨てている。
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http://www.sankei.com/column/news/170313/clm1703130005-n1.html
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※3月3日毎日新聞社説。

阿比留記者が引き合いに出している毎日新聞3月3日の社説は上記の通りだが、その中で教育勅語について

明治憲法下の教育理念である教育勅語は忠君と国家への奉仕を求めていた。1948年、「基本的人権を損ない、国際信義に対して疑いを残す」などと衆参両院で排除と失効確認が決議された。公式決議の意味は重く、教育現場での暗唱はふさわしくないはずだ》

と、している。教育勅語を読めば一目瞭然だが、

教育勅語は忠君と国家への奉仕を求めていた》

だけではないし、国会決議をそれほど重視するならば例えば東京裁判で「戦犯」とされた人々については昭和27年6月9日参議院本会議において「戦犯在所者の釈放等に関する決議」同年12月9日衆議院本会議において「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」がなされ、昭和28年8月3日衆議院本会議において「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」全会一致で可決され、昭和30年には「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」がなされている。これらの決議によって「戦犯」とされた人々の罪状は消滅し、名誉は回復されていると言えるが、毎日新聞はそれを前提に記事を書いた事があるのか?毎日新聞の理屈では総理大臣や閣僚が靖国神社を参拝したからと言って

「戦犯が合祀されている」

事を理由に総理大臣や閣僚の靖国神社参拝の批判は出来ない筈だ。尚、これらの決議の存在を示して「戦犯に対する認識と首相の靖国神社参拝について」平成17年10月17日に質問趣意書を出したのは民進党の野田佳彦である。
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野田佳彦提出の質問趣意書

また、1948年と言えばGHQによる占領期間中である。当時の日本政府がGHQの意向に逆らう事など出来る筈もなかったが、そんな時代の決議を未だに墨守しよう、と言うのも正気の沙汰とは思えない。冒頭に挙げた志位和夫の認識などその意味では

「70年前からの対米追従

でしかない。そんな体たらくでよく現政権を

対米追従

と批判出来るものだ。これも「ブーメラン」とでも言うべきか。口を開く前に恥を知るべきであろう。また、平成26年4月の参院文教科学委員会で、和田政宗参院議員が

「排除・失効決議に関係なく、副読本や学校現場で活用できると思うがどうか」

と質問したのに対して

教育勅語の中には今日でも通用するような内容も含まれており、これらの点に着目して活用することは考えられる」(文部科学省前川喜平初等中等教育局長)

教育勅語の内容そのものについては、今日でも通用する普遍的なものがあるわけで、この点に着目して学校で教材として使うのは差し支えない」(下村博文文科相)

と、答弁している。勿論教育基本法の範疇で」と言う前提でだが教育勅語を学校教育に活用する事に問題はなく、また先の稲田防衛相の答弁もその認識を継承したものに過ぎないとすれば何ら問題はない。
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※左翼の脳味噌で理解出来ると考える方が野暮。

そもそも左翼連中の根本的な間違い

「戦前の日本を全否定」

している点にある。戦争に負けたからと言ってそれまでの全てを否定するのは

「勝った方が正しい」

と言っているに等しいが、それこそ「弱肉強食」の考え方そのものであり、帝国主義」とはそういう考えの上に成り立っていたものである。…左翼の脳味噌でそれを理解出来るかどうかは疑問だが…

更に連中は「教育勅語の活用=戦前回帰」と短絡的に物事を考える。そういう人間に限って教育勅語を読んだ事など「ない」のだろうが、親孝行や自己啓発、博愛精神が軍国主義を推進する、とどうして言えるのか?どうして日本国憲法の定める基本的人権を抑圧している、と言えるのか?結局のところ教育勅語を批判する連中の主張は「一部の切り取り」「ダブルスタンダード」「無知無理解」「決め付け」「ブーメラン」と言った「御約束」の範疇に納まるのである。
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教育勅語の対極に位置する人間1
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教育勅語の対極に位置する人間2

教育勅語の真逆を追求すれば結局は蓮舫福島瑞穂の様な人間が出来上がる。そうなりたいと思うなら話は別だが、国会での連中の愚劣な主張や醜態を見てもそう思えるのだろうか?
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https://twitter.com/take_off_dress/status/841203942130245636

一人の人間として生きる以上、最低限「真っ当な人間として生きていきたい」と、思うのは当然であろう。教育勅語の全てが正しい、とまでは言えなくても、少なくともその対極に位置する人間は蓮舫やら福島瑞穂の様な「軽蔑されるべき」人間にしかなれない事だけはまず間違いない。それだけでも