ジャーナリズムを理解していないジャーナリスト
東京新聞の記者に「佐藤圭」なる者がいる。明らかに偏った発言が目立つ記者だが、先日も
佐藤圭はここで産経新聞の「阿比留瑠比の極言御免」を引き合いに出していた。そこでは冒頭に挙げた「加計学園の件での前川喜平と加戸守行・前愛媛県知事の発言がどれだけTVで報道されたか」を紹介し、メディアの異常な偏向ぶりを批判する内容だった。
だが産経としては相手が如何にこの様な「小物」であっても自社の記事を引き合いに出して反論、と言う形で発言された以上、放っておくわけにはいかなかった様だ。
佐藤圭は加戸氏の発言がTVで全くと言って良い程取り上げられなかったのは
「報道する価値がないから」
と決め付けているが、放送法4条では
※殆どのメディアが守れない放送法4条。
と、
「意見が対立している問題についてはできるだけ多くの角度から論点を明らかにする」
「双方の主張を視聴者明らかにする」
べきなのは論を待たない。そこに
「報道する価値があるのかないのか」
と言う「報道する側の主観」と言う問題は一切関係ない。つまり佐藤圭は放送法の規定もその意味も、そして「報道のあるべき姿」の何たるかも理解していないと自分で証明しているのと変わらない。そんな奴が「ジャーナリスト」を名乗る事からして「ジャーナリズムへの冒涜」に他ならない。
また佐藤圭は
《なぜ首相の友人の大学に決まったのか、そのプロセスこそが加計問題の本質》
と言うが、原英史・国家戦略特区ワーキンググループ委員は
「規制改革のプロセスに一点の曇りもない」
と、発言している。
《そのプロセスこそが加計問題の本質》
と言うなら原氏の主張を反証して自分達の正しさを証明するのが「ジャーナリズム」だが、佐藤圭にそれが出来るのか?「出来る」と言うなら今からでもやって見せれば良いだけの話だが、「出来ない」からこそ
「自分達の主張を『論破する』反論を『なかった事』にしようとしている」
だけではないのか?それこそ
「ジャーナリズムの仮面を被った『報道しない自由』と言う名の『編集権の濫用』」
である。佐藤圭の言う「ジャーナリズム」の実態とは「そういうもの」である。
佐藤圭は更に
《加戸氏が国会で語ったのは『いかに愛媛に獣医学部が必要か』という域を出なかった》
「安倍首相が友人に有利になるよう計らい、行政を歪めた」
と言うならこの告示の正当性を論証すれば済む話だ。佐藤圭には是非ともそれに挑戦して貰いたいものだ。ただし、それは
「告示を出した文科省自身でさえ出来なかった事」
なのだが…
いずれにしてもそれらは「ジャーナリズムの最低限の一線」である。それすら守れない連中にジャーナリズムを語る資格はない。それだけは確かであろう。